三樹夫

DEATH NOTE デスノートの三樹夫のレビュー・感想・評価

DEATH NOTE デスノート(2006年製作の映画)
2.7
漫画原作の良い実写版として挙げられることの多いやつ。他作品でよく挙げられるのは『ちはやふる』や『るろうに剣心』とかかな。90年代の洋高邦低の時代が終わり、テレビ局出資の邦画がやたら作られ邦画の興行収入もよく邦画バブルと言われだす頃ぐらいの作品で、そしてそろそろ宇多丸が当たり屋稼業でえらい目に遭い始める時期でもある。
私は原作はブームだった頃に読了。原作に関しては頭脳戦とか言われること多いけどライブ感のある、言ってしまえばガバガバなのを勢いで押し切るジャンプらしい漫画だと思っている。ポテチ袋の中に液晶入れるのの何が頭脳戦だよ。あんなもん見えるわけねぇだろと思いつつも勢いがあって爆笑する。引きだし開けたら発火する仕掛けとか、あんなバカなのみんな読んでて笑わないのかな。『DEATH NOTE』はあくまで頭脳戦風の漫画だ。

実写映画化にあたりキラの独善性が増されている。キラが既にデスノートを持って犯罪者を次々殺していっているところからこの映画は始まり、キラの独善性パートがあって、その後Lとの“頭脳戦”パートとなる。
キラは原作の時点で正義でも何でもない独善的な男で、原作もこの映画でも独善的な奴として描かれてる。あんなのは私人逮捕系Youtuberみたいなもんだし。正義だとかほざくが、捜査をしているだけの罪犯していない捜査官も我が身可愛さですぐ殺す。一方でLも死刑囚だから死んでも大丈夫と身代わりにして死なせるヤバイ奴。『天国と地獄』で一番批判されてることとほぼ同じことをしている。キラもLもヤバい奴だが夜神総一郎だけが唯一まともという結構末期的な世界になっている。キラ信者が大量に溢れているが、あれは私人逮捕系Youtuber信者みたいなものなので悲しいながらもリアリティを持ってしまっている。この映画で一番リアリティのあるのがキラ信者だ。キラの彼女って自分の彼氏が私人逮捕系Youtuber信者みたいなもんなのに平気なのかな。恋人が私人逮捕系Youtuber信者だったらドン引きされるだろ。ミサミサのマネージャーは有能。インタビューで私はキラ信者ですとか、私は私人逮捕系Youtuber信者とか答えているようなものなので、そんな所はそらカット対象でしょ。
冒頭の次々殺される犯罪者が漫画みたいな誇張された造形で、キラが神なると決意を固めた酒場も悪徳酒場みたいな分かりやすい酒場で、しかもヒャハハハ笑いする悪人が出てくると、誰にでも分かるというかバカでも分かるような程度の低い演出になっている。演出でいうと、月と香椎由宇が美術館デートしてるのはそのシーンそれ自体もダサかったのに、スガシカオの歌が流れ出すのがとんでもなくダサかった。
しかしキラの独善パートはまだ作り手がやる気があったようで、Lとの“頭脳戦”パートに入るとテンポも鈍化して観ていられなくなる。まあLとの“頭脳戦”パートとか原作の時点でどうしようもないし。やっぱり実写で観てもポテチ袋に液晶は画面見えねぇだろとなる。リュークはわざわざ覗き込むようにして見ていたので、あんなもんは見えるわけないのだろう。後、ポテチ袋の中に液晶を何時何処でどうやって入れたんだろ。ただハッタリとして笑えるので嫌いではないが。引き出しに発火の仕掛けがカットされたのは残念だった。皆川猿時がバス降りて車に吹き飛ばされたシーンは爆笑した。
Lとの“頭脳戦”パートは何の興味もないんだろうなというのが伝わるが(私もポテチ袋に液晶などのシュールな笑いシーン以外は興味ないけど)、ミサミサのシーンだけは若干やる気出てた。やっぱり『1999年の夏休み』や『ガメラ3 邪神〈イリス〉覚醒』の監督だけあって少女に関しては血が騒ぐのだろう。

この映画に関して松山ケンイチがやたら褒められるが、あんなもんはコスプレとモノマネを頑張っているだけ。この映画において松山ケンイチは役者ではなくただのコスプレイヤー。キャラにハマっているでいえば鹿賀丈史と藤村俊二の方がよっぽどハマっている。

この映画は漫画原作の良い実写版としてよく挙げられるが、この程度でいいなら別に何の漫画原作実写映画でもよくないと思うが、この映画を大きく下回るやつがゴロゴロしているんだろうな。『今日から俺は!!』とか劇場で予告何回も観たけど予告の時点で死ぬほどクソそうだったもん。
漫画原作の実写化としてよく言われるのが、原作愛がある、監督のオナニーはいらないというのを耳にタコができるぐらい聞いたが的を射てないと思う。この映画って原作から話を再構成したりキラの独善性を増したりオリジナルキャラ出したりで監督のオナニー(監督の解釈や改変ややりたいこと)が結構入っている。続編では戸田恵梨香のアイドル映画みたいな撮り方するし、私刑は許されるのかとテーマ性を強調するし、監督の解釈ややりたいことが入っている。『るろうに剣心』も殺陣が香港映画だし監督の解釈とやりたいこと普通に入ってる。
原作愛があればいいってもんでもないというのは『ジョジョ』3部のTVアニメを観た時に、スタッフは原作好きなのは確かだと思うが、原作愛アピールしまくりで原作の再現をやればいいんやと思考停止して紙芝居みたいなアニメになってて全く面白くなかったし、原作愛があればいいってもんでもないだろうと思った。そもそも漫画と実写はリアリティラインが違うわけで、漫画のキャラそのまま出せばいいわで出来たのがこの映画の松山ケンイチのコスプレとモノマネだし、どこを取捨選択改変再構成するか、原作愛よりも単純に演出の腕の方が問われると思う。
また原作愛は変な擁護に使われる便利ワードにもなってる。『ジョジョ』3部のTVアニメは面白くないっていうのに対して原作愛があるからという擁護をよく見たし、他の作品でもちょくちょく見かけるが、原作愛があるから(面白くないけどOK)みたいな免罪符になっている。原作愛があるからって言っときゃいいみたいなバカでも使える便利ワードのためやたら重宝されている。画像リプと一緒で何か反論した気になる便利ワードになっている。原作愛がどうだの言わずに、ここが面白いと思うと反論するか、どれだけ他人が叩いていようが自分はこの作品が好きと言い切ればいいのに。
原作愛がある、監督のオナニーはいらない論者って体系的な知識の上でそう言ってるように思えないんだよなぁ。そういう人たちの口から『子連れ狼』はほぼ出てこないし。っていうかおすすめの漫画原作映画ランキングとか○○選とかにも『子連れ狼』ってほぼ出てこないし、1990年版『櫻の園』も出てこない。大体が2000年以降の映画しか言及されてなくて(『ビー・バップ・ハイスクール』がたまに出てくるぐらい)、それってお前がリアルタイムで観て面白いと思った映画をただ羅列してるだけだろとなる。原作愛がどうだのとか言わずに素直に〇〇が好きって言えばいいのに。『修羅雪姫』や『御用牙』や『女囚さそり』も漫画原作映画として全然言及されないし、それらを観てないような奴の論旨は聞く耳を持たん。
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