Kuuta

楢山節考のKuutaのレビュー・感想・評価

楢山節考(1983年製作の映画)
4.0
良い映画だった~。人間社会と自然=獣の世界、それを見つめる神という構造は「神々の深き欲望」と似ていると思うが、あちらと比べて生と死の根源にあるセックスをきちんと描いているのが良いし、後述するが海ではなく山に神性を乗っけた演出がハマっており、「こっちの方が整理されてて見やすかった」というのが一番の感想。

題材的にドロドロの愁嘆場が来るのを覚悟していたが、無言の楢山参り(村の規則で母は声を出すのを禁じられる)の演出は意外なほどカラッとしていて好感。土着の生活をユーモアと残酷さを交えて描きつつ、厳しくも美しい自然を熱っぽく画面に刻み込む。まさに今村作品らしい内容で、入門編にも良いのでは。

・生と死はひと繋がり。虫や動物の交尾、補食シーンが季節の変化に合わせて挟み込まれる。死にかけの老婆のための棺桶と、幼児が入れられている籠は本質的に同じ。

・「神々の深き欲望」と同じく、上下の視点が効果的に使われている。口減らしのため乳児は田んぼに捨てられ、規則を破った家族は生き埋めにされ、楢山参りに抵抗して泣き叫ぶ老人は谷底に投げ捨てられる(どれも普通に怖かった)。

一方で、神としての山を誰もが見上げ、鳥や蝶が死者の魂を仲介する。

母を捨てる咎を原罪のように背負いながら、辰兵(緒形拳)は山を登る。それは神に接近する禁忌のようにも思えるが、現世に救済はない。登っては落ち、登っては落ちを繰り返した先、最後に待っているのはまた別の地獄であり、また別の谷底である。その運命を静かに受け入れるおりん(坂本スミ子)に振る雪。彼女は山と一体化していく。

「神々の深き欲望」では、村の制度(垂直のイメージ)に、島を侵食する不気味な海(平面のイメージ)を絡めていたが、今作は「村の制度」も「神と人間の関係」も垂直として統一されている。だから見やすく感じたのだろう。

・村を動かすのは女。これも「神々…」と同じく、性行為が一種の貨幣として機能している。カットバックは少なく、室内でも引いた目線が保たれるが、基本的に女たちは火を操ったり料理をしたり、手を動かして日常を駆動し続けている。一方、男が躍動するのは祭りや夜襲の場面で、辰兵は日常のつらい現実から目を背けて涙する。

・「けがれ」とされる次男は体臭がきつく、「害獣」として周囲から疎まれている(村を貫く視覚の世界にすら入れてもらえない)。彼ができるのは動物を叩くことだけ。獣と次男の境界は極めて曖昧に描かれている。

(この村では長男以外の男は「やっこ」という穀潰し扱いで、性行為も禁止。倍賞美津子演じるおえいは、ある理由で村中のやっこに体を許すことになるが、このうち一人は性行為の直前、彼女を神のように拝む)

・生き埋めも楢山参りも、原始的な欲求(暴力や性愛)を発散させるために、合法化された殺人だ。コミュニティ維持のための合理的な判断。その是非は別として、究極的に人間らしい行動と言える。「殺したのはお前じゃねえ、山の神様だ」。村の制度と信仰が一体となっており、そこに自由意思が介在する余地はない(ミッドサマーを思い出す)。

それでも、来る日に向けて母親は作物の種を撒き、嫁に魚取りの場所を継承する。彼女の日常一つ一つが村を形どっており、女から目を背けてきた辰兵は最後に母の痕跡を視界に捉える。終わらない村の輪廻を彼は遂に理解する。

・ロケ撮影を基本とした写実的なアプローチだった今作に対し、木下恵介はセットを組んで撮ったらしい。こちらも未見なので見比べたい。80点。
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