ヴェルヴェっちょ

タクシードライバーのヴェルヴェっちょのレビュー・感想・評価

タクシードライバー(1976年製作の映画)
4.0
狂気って何だろう。
普通って何だろう。
ひたすら問いかけてくる映画でした。

ニューヨーク。 毒々しい夜の色彩と光の洪水に飾りたてられたその『闇』をじっと見つめる虚ろな視線があった。
彼の名はトラビス(ロバート・デ・ニーロ)、タクシーの運転手である。
彼は他の運転手のように仕事場を決めていない。客の命令するまま、高級地区だろうと黒人街だろうと、どんなところへも行く。そんなトラビスを、仲間たちは守銭奴と仇名した。
毎日、街をタクシーで流すトラビスは、「この世の中は堕落し、汚れきっている。自分がクリーンにしてやる」という思いに取り憑かれ、それはいつしか確信に近いものにまでなった。
そんなある日、麻薬患者、ポン引き、娼婦たちがたむろするイースト・ビレッジで、ポン引きに追われた13歳の売春婦アイリス(ジョディ・フォスター)が、トラビスの車に逃げ込んできた。トラビスは連れ去られるアイリスをいつまでも見送っていた。
やがて、トラビスは闇のルートで、マグナム、ウェッソン、ワルサーなどの強力な拳銃を買った。そして射撃の訓練に励み、4丁の拳銃と軍用ナイフを身体に携帯し、それらを手足のように使いこなせるまでになったが…。

70年代を代表する映画。突き抜けてるなぁ。
ストーリーはシンプルながら、投げかけられる問いは重い。 「この世の中は汚れ切っている。だから俺がクリーンにしてやる」。純粋すぎ、過激な台詞。これを「青春」と呼ぶのか。
おそらく誰しも大なり小なり抱いている疑問をトラビスはぶつけてくる。
この社会はおかしい。不公平だ。狂ってる。
だからブチ壊そうっていうのはあまりに短絡で幼稚じゃないのか、と「大人」の君は窘めるだろう。
観客は「青年」と「大人」の間で宙ぶらりんにさせられる。スコセッシの術中に嵌まったことになる。
彼の巧さは、観る者を「分かった」ふりにさせないところにあると思います。
いやいや、何を深読みしてるの?へ理屈ばかりこねてないで映画を観てくれよと笑うのはスコセッシか、デ・ニーロか。