人形アンドロイドが家事を行うハウスロイドとして、人間と共存している時代。
アンドロイドには頭の上に丸い輪のホログラムリングが投影されており、人間とアンドロイドが見分けられるようになっているほか、決して人間に歯向かわないようプログラムされており、人間に奉仕する立場で存在している。
ある日、主人公のリクオは自宅で家事を担っているハウスロイド、サミィの行動ログファイルの中に奇妙な外出行動の記録を発見する。
リクオはログファイルを元に「イヴの時間」というカフェにたどり着くのだが、そのカフェは「人間とロボットを区別しません」という奇妙なルールを掲げたカフェだった。
どうやらサミィは、家事の合間にこのカフェに来ているようなのだが、感情を持たないアンドロイドがなぜ自らカフェに通っているのか。リクオはその真相を突き止めるためにカフェに通ううち、カフェに集う人間とアンドロイドが織りなす様々なコミュニケーションの形に遭遇する。
なぜこんな店があるのか。なぜサミィは店に通うのか。アンドロイドと暮らす人間はどのような気持ちの変化があるのか、また、アンドロイドにもどのような変化が訪れるのか。
世界観がしっかりと構築されている作品なので、自分ならどう考えるのか、色々と考えさせられます。
私がこの映画を観て思い出したのが、犬型ロボットのAIBOの話。
5年ほど前、AIBOの修理サポート終了が報じられた際、多くのユーザーが、家族として一緒に暮らしていたAIBOが壊れたらどうしたらいいのか、と悲痛な叫びを上げました。
初期型AIBOがは機能も少なく見た目もロボットそのものなのですが、それでも家族の一員として長く受け入れられていたことに驚きました。
それが、見た目も人間そっくりのアンドロイドなのですから、当然、人間とロボットの間に様々な感情が生まれます。
2009年の映画ですが、内容は決して古くはなっておらず、これから起こりうるであろう、様々な問題を提起してくれている、良い作品だと思います。