螢

真昼の決闘の螢のレビュー・感想・評価

真昼の決闘(1952年製作の映画)
3.7
90分にも満たない中で、人間の正も負も、あらゆる本質があぶり出された、侘しい余韻が残る秀作。

アメリカの寂れた南部の土地。結婚式の日を迎えた保安官ケーンの元に、かつて彼が刑務所送りにしたならず者の男ミラーが釈放され、12時に街に着く列車でチンピラ仲間と共に「お礼参り」をしに来るという情報が入る。

彼は、もともと、結婚を機に、街を離れることに決まっていた身。街の人々に急かされ、一度は新妻と共に街から逃れようとしたが、彼の「義」がそれを許さない。
彼は街に舞い戻り、人々に呼び掛けて共に犯罪者を迎え打とうとする。しかし、街の人々は彼の頼みを聞き入れないどころか、街にとって迷惑だからと彼に出ていくよう諭す始末。

仲間を求めて、しかし、あてもなく、一人孤独に街をさまようケーン。
やがて、12時が訪れ、彼は一人で決闘に望むことになり…。

結婚式の最中のケーンの元にお礼参りの話が届いてから、町民たちへの説得と拒否、決闘が終わるまでのことの一部始終を、80分強の上映時間の中でほぼリアルタイムに撮り上げた本作。
保安署にかけられた壁時計の針の変化が、刻一刻と迫り来る時間を伝える演出が効いています。

そして、その短い時間の中で、孤独を噛み締め人気の消えた街をさまようケーン、ケーンの愚かとも思える決断に一度は彼の手を離そうとした新婚の妻エミー、彼のかつての恋人であり彼の堅物な性質をよく理解しているヘレン、ヘレンに想いを寄せており少なからずケーンに複雑な感情を持つ保安官補佐のハーヴェイ、自分たちの街であるのにケーンへの協力を拒む人々といった姿を通して、人間が持つ、義、信念、臆病さ、身勝手さ、狡さ、そして、侮蔑など、あらゆる側面が描かれています。

物語のラストは、義を押し通したケーンと、手のひらを返すように現れた街の人々の隔たり、そして人の弱さを感じさせ、侘しさと虚しさが強く残ります。
しかし、反面、事件の経過を通じて、妻エミーとの絆だけは確固たるものとなったことに、わずかながらでも救われた気持ちになったのも事実。

人間の正負のあらゆる本質を描いたという点で、黒澤明監督の「七人の侍」を彷彿とさせながらも、仲間がいない分、もっと孤独で殺伐と侘しく、それゆえに胸に残るというか、つかえる物語でした。
螢