死期を悟り「解脱の家」(死を迎えるための施設)に入所した老齢の父と、そこに付き添った息子の姿を静かに描いた、じんわり胸に沁みる作品。
老齢のダウは自宅から遠く離れた聖地バラナシにある解脱の家への入所を決める。
働き盛りである息子のラジーヴは、上司に嫌味を言われながらも、そこはやはり実の親のこと。施設側からあらかじめ定められた入所期間が2週間ということもあり、仕事を一時休んで、父に付き添って身の回りの世話をすることにする。
その解脱の家には。
なんだか不思議な予言めいたことを口にする管理者や、
夫と共に入所したのに、夫に先立たれた後も自身は死ねないままに施設の規則を破って18年も住み着いてしまった老女ヴィムラなど、様々な面々がいた。
二人はこれまでとは違う環境の中で、いままであかさなかった気持ちをぶつけあったり、嫁入りが決まっている娘スニタ(ダウにとっては孫)の存在と行動を通して、ねじれてしまった二代それぞれの親子関係を見つめ直すきっかけを得たりしながら、限られた時間を過ごすのだけど…。
個人的には、死を迎えようとする男の境地とか、家族の苦しみや悲しみを観る映画というよりも。
誰か一人の死が目の前にあったとしても。
(いくら身近な家族でも)別の誰かの日常はそれとは関わりなく、決して止まることも変わることもなくお構いなしで動いていくし。
また別の誰かは、人生を変えてしまう重要な決断をしようとするし。
なんというか、ぴったりの表現が見つからないのだけど、それぞれの人生はそれぞれのもので、本当に独立したものなのだということを強く意識させられました。
でも、寄り添い、時間を共有するからこそ、気付くことや得ること、思うことがある、という点も巧みに描かれているのです。
インド映画らしくなく、歌も踊りもないけれど、じんわり胸に沁みる作品で、また10年後くらいに見直したいです。
それにしても、夫の死に始まり、多くの人の死を眺めることになりながも、朗らかだったヴィムラの人生が、他の誰でもなく、彼女にとって納得のいく幸せなものであったらいいなあ、と本当にしみじみ思ってしまいました。