40分ほど視聴してリタイア
なのでレビューを書く資格はないんだけども、たくさん思ったことがあったので書く
私、この映画が割と最近のもの(2015年以降とか)に封切られたものだと勘違いして見始めてしまった(小説界だとそこら辺がモキュメンタリーホラーの勃興期→隆盛期かな、という漠然とした理解だった為)
すると、2000年代初頭に失踪したオカルトライターの人がいた、という解釈で始まる
で、私は「あ、古い話がビデオで残っていて発掘された、そういう体なのね、はいはい」と思って見始めた
そしたら、超能力少女のTV番組が始まる 「江口ともみのノースリーブの感じ、2000年代って感じだわぁ、、そこまで再現して昔風に作ってるの細かいなあ」などと勘違い
しかし飯島愛が登場して、「は!? マジもんの昔の映像を使ってのことか まじか…」とまたまた勘違い
2000年台の古い映像を編集で絡めてきて、実際にあった感を出してくるって凄いことやってるな、等と思った
しかし、松本まりかが出てきた辺りで「ん?なにかおかしいな…」となり、製作年を確認してみたら2005年の映画か、と漸く理解した(私が松本まりかを全然知らなかったら、「昔のアンガールズが出てた心霊ロケのお蔵入り映像まで使ってくるのか!」等と更に勘違いしたよな、と思うと面白い)
変な見始め方をしてしまった(しかしモキュメンタリーだからこそ起こった勘違いとも言える)
で、結論としては、最後まで見なくちゃな、とは思うのだけども、モキュメンタリーのホラー映画は自分には合わない、という結論に至った
モキュメンタリー系のホラー小説はとても面白く感じるのだが、肌触りが全然違うものなんだな、という、興味深い発見だった
手法的には全くおんなじ事やってるのに、「こんなに違うものなのか!」という驚きがあった
それだけでも見た意味があったと思う
ちょっと、映像になると「自分が騙され切ってくれない」為に見ていて終始苦しい
自分の感覚の問題
評価が高い作品みたいなので、愉しめないの勿体ないな、と感じる
同じ内容でもテキストで読み始めたら、普通に受け入れると思うから不思議だ
追記
何が違うのか、すこし考えてみた
文章の場合、虚実のパーセンテージを判別できない、という特徴がある(勿論、100創作の場合が殆どだろうとしても)
しかし、読み手が数%でもここはリアルかも…と思ってしまう様に虚実皮膜を感じられるように書かれる
しかし、映像となると、そもそもが100虚なのであり、その上で虚実皮膜を感じるというのは原理的に不可能なのだと思う
(その場合、私が求めたいものは、ガチもんのファウンド・フッテージ、つまりドキュメンタリーなんだということになってしまう そうなってしまうと最早それは事件だろう)
だから、映像はそもそもが「100%の証明をしてしまうもの」なので、それがモキュメンタリーを宣言してしまうと意味が反転して100%の虚になってしまう
一方で、文章は「そもそもが1%の証明にすらなっていない」という所がミソなのだな、多分
ちょっとややこしいけれど。
でも、ブレアウィッチプロジェクトは出てくるのが全員知らない人だし、時代性もあんまり関係ないからか、そこら辺の難関はテクニカルに乗り越えてきてるよな、と思ったりもして
外国人には字幕も必要ないから、更に精度が上がるのよな…