歴代ガンダム作品の中では珍しく名実ともに失敗作と言われた一作だし、自分も最初に見た時は全く意味がわからなかったが…
今回、『閃光のハサウェイ』から『Vガンダム』を見通した上で、もう一度話を理解して見直すと、富野由悠季史全体を俯瞰して見た際に――また現代社会との比較で見た際に、非常に意義のある一作だとわかってもう大興奮。めちゃくちゃ面白い。
それはまた、ちょうど現代がついにこの“F91の世界に追いついたから”だとも言えるだろう。
また、これまた評判の悪い『Vガンダム』がなぜ「ああ」なったのかも、この『ガンダムF91』を見るとわかるという点で、やはり外せない一作だと思う(自分は『Vガン』大好きだが)。
というのも、富野由悠季の作品を制作順に追っていくと、明らかにこの『F91』が一つの転換点になっているのだ。作品に流れる価値観や思想が、ここを境にパラダイムシフトを起こしている。
それは、家父長制から母性(母権)への転換だ。
『ガンダムF91』では、主人公シーブックが搭乗するロボット――ガンダムは父親ではなく、母親の手によって開発されたことが強調される。そしてシーブックの父は物語前半で死亡し、それと入れ替わるようにガンダムの開発者である母(モニカ)が登場する。
さらに映画のクライマックスでは、シーブックは母の力を借りて、ヒロイン(セシリー)の救出に成功する。
(F91においては単なる「エースパイロット性」にまで衰退してしまった)ニュータイプの真価は、(和解した)母の導きによって発揮されるのだ。
この点で『ガンダムF91』は、「母との和解の物語」とも言える。
なお主人公とは反対に、“母”との和解に失敗したのが、敵であると同時に明らかに主人公の影(選択を誤った際にたどるべき末路)として描かれ、最後には死んでしまった鉄仮面カロッゾだ。
事実、富野由悠季は『別冊宝島129号ザ・中学教師子供が変だ!』におけるF91始動についてのインタビューで、「ニュータイプとは、よき父と母をもつこと」と言っている。
この母権の拡大や女性・母性信仰、あるいは父性や家父長制の衰退は、次回作の『Vガンダム』でもっと加速することになる。
『F91』と同様にガンダムを作ったのは母であり、主人公と母との和解が描かれる一方、味方パイロットも敵パイロットもほとんど皆、母的な女性であり(あるいは男は無様に早死にする)、それどころか敵の勢力は母権国家であり、最後には母性的なヒロインの母性的な奇跡によって戦争の収束が描かれるのだ。
さらに『ターンエーガンダム』では、ついに敵も味方も、そしてラストの“支配者”も皆女性になってしまうし、主人公すらもユニセックス的だ。
∀ガンダムも髭をモチーフにした極めて男性的な外観を与えられているが、その機体は物語中ではむしろ、時に脱走した牛を保護し、時に病院のシーツの洗濯に駆り出されるなど、ユニセクシャルなイメージを与えられている。
もう1つ、『Vガンダム』との連続性で考えると見逃せないのは、やはり「時代の逆行」だ。
敵サイドであるコスモ・バビロニア帝国は、いうまでもなく古代バビロニアの意匠を持っているし、その精神性(コスモ貴族主義)はそのまんま中近世のヨーロッパの貴族のノブレス・オブリージュに根拠を求めている。
技術や文明的には超未来のものなのに、だ。
この「時代の逆行」もまた、『Vガンダム』でさらに加速する。
ザンスカール帝国は中世ヨーロッパ風のデザインで、しかもギロチンによる恐怖政治に、神懸かり的な力を持つ女王が治める宗教国家というのは、中世どころか古代的ですらある。
では、富野由悠季はなぜ、宇宙世紀で『閃光のハサウェイ』という文明の最盛の先に貴族主義――中世趣味へと時代を逆行させたのか?
それは、シャアの反乱(とその意志を継いだマフティーの反乱)によって、アースノイドvsスペースノイドという「大きな物語」の構図が終わったからだ。
この長い戦争が終わったことで、『逆シャア』~『F91』までは、一応、宇宙世紀では珍しい「平和」な時代だったとされている。しかしその結果、人々は「大きな物語」を失った。
大きな物語を失った人々は、大義や正義、信じるものといった拠り所を失い、そして自己実現や近代的成長の機会を失った。その混乱や不安に耐えられない人々が、時代を逆行させたのだ。
だからブッホ・コンツェルンは、宇宙世紀において何の価値も持っていなかった旧ヨーロッパの爵位を、わざわざ金で買ったのだ。「貴族主義」という古いノブレス・オブリージュに倫理や正義を求めるのは、まさに、「大きな物語の回顧」に他ならない。
そして外の敵を失った地球人は、その「中――地球内部」に敵を見つけるようになった…
これが、コスモ・バビロニア戦争である。
この時代の流れは、まんま当時――冷戦終結後の世界情勢そのものだ。
冷戦(続・第二次世界大戦)が終わって皆が望む平和がやっと訪れたかと思いきや、実際には90年代にはアメリカや日本国内で凶悪事件や猟奇事件が頻発する不安の時代となった。日本ではオウム真理教事件がその極相である。
これは、冷戦の終結によって「大きな物語」を失った結果――“ポストモダン”の弊害でもある。
人々は倒すべき敵を見失い、その結果、今まで信じていた自国の正義を疑うようになった。何も信じられなくなった。だからこそ、「信じるにたる物語」を求めるようになった。
それこそが、オウム真理教が語る陰謀や精神論だった。
その点では、2001年のアメリカの同時多発テロは、「大きな物語を失ったアメリカ人」が「大きな物語を取り戻す」格好の言い訳になった。アメリカは再び倒すべき敵を外に見つけ、結果として自分たちを正義と認識できたのだ。
しかし2011年に対テロ戦争が終わったアメリカでは、人々は再び大きな物語を失い、また90年代のような混迷の時代に突入した。
その結果、人々は「内」に敵を見つけるようになる。
ゆえにアメリカは2010年代以降、「分断の時代」に突入したし、またあるいはQアノンの語る陰謀論という「大きな物語の代替物」を求めるようになったし、「移民排斥」を掲げて、かつてのように「外」に敵を求める「大きな物語の時代」に逆行するトランプが支持を集めたのだ。
社会の分断、陰謀論、移民排斥……そんな「平和」なアメリカの行き着いた先が、現在の第二次トランプ政権なのである。
そして実際に今のアメリカでは、まさにこの『ガンダムF91』(や『Vガンダム』)のような「時代の逆行」が起きている。
トランプの支持母体であるキリスト教原理主義による科学教育の否定や、反知性主義的な陰謀論、聖書の世界観の徹底によるマイノリティの排除などは、まさに中世への逆行である。
『閃光のハサウェイ』の頃から地球で行われているというマンハンター(不法在留ヒューマノイド狩り)も、完全に今(第2期トランプ政権)のアメリカのICEによる不法移民排斥と同じだし…
本当に、富野由悠季は時代の30年先を行っている……
無人自律型殺戮兵器「バグ」は、現代のロシア・ウクライナ戦争で用いられている軍事ドローンそっくりだしね…
またこのバグの描写のエグさにも関わってくるのだが、『ガンダムF91』では、とにかく生々しい「人の死」や「暴力描写」が見られる。
いやガンダムは戦争を描くアニメなので、これまでも人の死は描かれてきたが…
壁に打ち付けられて死ぬ少年や、MSの巨大な薬莢に当たって死ぬ母親などの、直接的な「人の死の痛み」は、今までのガンダムでは描かれてこなかった。
この態度は、『Vガンダム』における“ギロチン”や、“生身の人間がMSに殺される描写”などに繋がっていると思うし、また『ターンエーガンダム』における“足の切断”や“汚物処理”などの「生々しい戦争描写」にも繋がっていよう。
他に細かいところでいうと、フォーミュラカーをモデルにしたF91ガンダムといったF1ブームの影響は、『Vガンダム』のベスパのバイクの意匠にも引き継がれているし…
C.VのゴーグルMSはベスパの猫目MSに受け継がれたように感じるし…
ウッソも、(アムロやカミーユとは違った)正統派主人公の「見本=シーブック」のようなキャラだ。
その点で『Vガンダム』は、入魂の一作であったにも関わらず打ち切られてしまった『ガンダムF91』のセルフリメイクだったのだと言えよう。
…だがね、まあここまで『ガンダムF91』の凄さや面白さを書いてきたものの、1本のアニメ映画としては、やはりかなり問題を抱えてると言わざるを得ない。
もともとテレビシリーズ12話分を1本の映画にまとめているため、キャラクターはかなり多いのにも関わらず、展開が非常に早くわかりにくい。
いやまぁ普段の富野アニメよりは説明セリフが多いのだが…それでもやっぱりわからない。
まず前半1回見て公式サイトで固有名詞や大まかなストーリーの世界観の流れを把握した上で、もう一度最初から見直せばまあわかるが……っていやわからんわ。
アンナマリーいつ寝返ったんだよ!シーブックいつどうやってフロンティア4行ったんだよ!?
展開がぶつ切りというか、劇場用として製作された映画のはずなのに、まるでダイジェストの総集編映画を観ているようである。
ただしそれでも序盤だけなら、まさにバブル崩壊直前の作画、セル画メカアニメの最後の輝きといったクオリティで素晴らしい映像を見られるので必見だ。この作画が最後まで持続したら、たとえシナリオは同じでも名作として語り継がれていたのではないだろうか、と、思わずにはいられない。
なおこの序盤のパートを担当したのは、後にMS戦に巻き込まれる人々を、超ハイクオリティな作画で人間の視点から描いた『閃光のハサウェイ』の監督、村瀬修功でもある。