「勤労感謝の日」に、「労働はクソ」と吐き捨て、大人と子供の狭間で葛藤するプータロー女子が主人公の映画を観るなど。
観ている間、公開当時(2001年)主人公達と同年代で、映画好きの友達が、スティーブ・ブシェミがとにかく良い!と興奮気味に騒いでいた記憶がうっすらと蘇ってきた。
それから22年も経ってこの作品を映画館で観ることになろうとは。
あの頃、スティーブ・ブシェミを推していた友達は今どうしているだろうか。
当時の私は、主人公のイーニドと友達のレベッカのどちらのタイプかと言われたら、完全にイーニド側の人間である。
当時流行っていたJPOPなどほとんど聞かず、マイナーな音楽を好み、女子校だったこともあり、男子ウケなど全く気に留めず、己の好きなものをとことん突き詰める愛想の悪い、いわゆるオタク女子だった。
レベッカのように、なんだかんだ言いつつもちゃんと大学を卒業して、愚痴を言いながらもコーヒーショップのバイトをして、お金を貯めて、部屋を借りる…しっかり地に足をつけて、真っ当な社会人になろうとしている友達と、そういった事が全く出来ない、社会性ゼロのイーニド。
イーニドはあの頃の私だった。
何がしたいのかもはっきりせずフワフワして、家族とも友人ともうまく関係を築けない。それでも"クソダサい大人"にならなくちゃいけない。
ティーン特有の苛立ちや焦燥感、若さゆえの過ち、欲求不満…そういったものを煮詰めて固めたようなイーニドに、あの頃の自分を重ねた。
この作品が、20年以上経っても未だ愛されるのは、若い頃の黒歴史を重ねた自分と再会できるような作品だからなのかもしれない。
あの頃から自分も歳を重ねて、どちらかというと序盤のイーニドがキモいと吐き捨てる、シーモアのような「イタイ大人」になりつつあることに気付き、愕然とするのであった。
私も、バス停のベンチに座り、来るはずのないバスを待ち続ける老人になっていくのだろうか…