ジミーT

キング・コングのジミーTのレビュー・感想・評価

キング・コング(1933年製作の映画)
5.0
ン十年ぶりに本作を観て、自分の認識不足を修正しました。巷間すでに有名なことかもしれませんが、改めて自分の目で見た次第。3点あります。

1. コングは巨大なゴリラではない。

33年版のコングも確かにゴリラ風ではありますが、立ち姿とか所作などはゴリラより原人のイメージに似ています。アップになった時の顔立ちも、ゴリラというよりむしろいかりや長介に近い。
つまりコングとは擬人化されたゴリラではなく、擬猿化された人間だったんです。だからこそ、理解されない悲劇性が鮮やかに際立ったのだと思います。

一方、76年版「キングコング」以降のコングは擬人化された巨大ゴリラとなっており、それゆえにヒロインの同情や愛情を受けることができた。擬人化された巨大ゴリラであっても哺乳類の動物。自分に興味を持ってくれている、守ってくれているとなったら可愛く感ずるのではないでしょうか。
一方、同じことをしても擬猿化された人間だったら気持ち悪いか、怖いだけでしょう。最後まで悲鳴をあげ続けたヒロインの気持ちもよくわかります。

2. コングのヒロインへのアプローチ

私はコングを「男にゃ強いが女にゃ弱い硬派野郎」と思っていたのですが、違った。ヒロインに対してかなりエロティックなアプローチをしていますよね。ドレスを破ってみたり、指でつついて匂いをかいでみたり。ここでも擬猿化された人間の特徴が際立っており、ヒロインの気持ちを更に遠ざけてしまう。
もしおなじことを巨大なゴリラがやったら。ヒロインが同情を寄せる支障にはならなかったのではないかと思います。

3. ヒーローの存在

この映画には明らかにヒーローがいた。それがヒロインの婚約者であり一等航海士のドリスコルなんです。彼は怪物に囚われた恋人を助けんと獅子奮迅の活躍をして、間一髪のところでヒロインを助け出す。だから普通なら私たち男の子はこのドリスコルにこそ感情移入して応援するはずで、「僕もドリスコルみたいになりたい」となるのですが、コングの存在があまりにも強烈だったので、本来のヒーローの影が薄くなってしまって気づきませんでした。
しかし、コングはヒーロー(主人公)ではあってもヒーロー(英雄)ではなかったということに気づくと、コングが単に怪物であるだけでなく擬猿化された人間だったがゆえにコングの悲劇性が更に際立ち、壮絶なるスペクタクルのなかにその「ひとりの悲しみ」が完膚なきまでに描かれていることがよくわかるんです。

以上のことは製作者が意図したことなのか、結果としてそうなってしまったのかはわかりません。しかし製作者が「美女と野獣テーマ」をベースにしていたことは冒頭の字幕からもあきらかで、この3点はその悲劇性をさらに高める後押しとなり、エンパイア・ステート・ビルでのクライマックスが文字通り「孤高の男」としてのコングを輝かせていたのだとおもいます。

それもこれもあの素晴らしい特撮あってのこと。90年前にこの映画を観た人たちの驚きは想像するに余りあります。

追伸1
前半、髑髏島の恐竜オン・パレードの素晴らしさに言及する間がありませんでしたが、この意味については私もまだハッキリとはわからないので、あえて触れません。

追伸2
「美女と野獣」は映画も観ていないのでこの言葉の使用は避けたかったのですが、やはり避けて通ることはできず、最後に一回だけ使用させて頂きました。
あ、使用に際しては、「美女と野獣」について調べてはみました。Wikipediaですが。

参考資料

「キング・コングは死んだ」
石上三登志・著
1975年 フィルムアート社

「吸血鬼だらけの宇宙船」
石上三登志・著
1977年 奇想天外社

「季刊映画宝庫 1977年新年創刊号」
特集「キング・コング」
責任編集 双葉十三郎
1977年 芳賀書店
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