ベトナム反戦運動ドキュメンタリー。
あの戦争はなぜ起こり、そこでアメリカは何をしたのか。政治家たちが語る大儀と、前線から帰還した兵士の証言、戦死者遺族の哀しみ、生活を破壊されたベトナム人の怒り、様々な証言や取材映像、当時のニュースフィルムを駆使して、この戦争の愚かさと悲惨さを鮮烈に描いている。
主張の組み立てが巧みな映画で、「Aである。しかしBである。その結果、明かされたのはCという真実であった」という論理構築のお手本をみるかような構成だ。
アメリカにとってなぜベトナム戦争は忘れたい記憶なのか、それまでの戦争と何が決定的に違ったのか、アメリカは何を失ってしまったのか、この一本でそこんところがよくわかる。
やはり痛々しいのは、ジャーナリストによって撮られた衝撃的な現地の記録映像。処刑される青年、住居に火をつける兵士、子供用の棺桶、焼け爛れた死体、農地に落とされるナパーム弾、前方の集落に向かって発射されるクラスター爆弾、横一列に並んで枯れ葉剤を散布する飛行機、等々…ドキュメンタリーでありながら、終末的なイメージが反乱しており、地獄絵図に描かれているようなショッキングな世界が広がっている。
本作をきっかけに国内の反戦運動が盛り上がったとも言われおり、その意味でもこの作品の歴史的な意義は大きい。
戦争に必要なのは「大義」で、余所からみれば侵略だろうが虐殺だろうが、そこに明文化可能な理由があれば、そこに正しさを損なわずにいられる。
例えば、太平洋戦争時の日本は何がいけなかったのかというと、「天皇」の名のもとに戦争を始めたのに、やがてそれを無視して軍部が暴走したことだ。
それと同じで、アメリカは「自由」を守るために戦っているはずだったのにも関わらず、気が付けばベトナムを自由の獲得から遠ざけていた。
本作は、独立記念日のセレモニーの様子を入れ込むことで、確信犯的にその欺瞞を浮かび上がらせている。
この大きな失敗によって、アメリカはなにかを失った。経済的にも精神的にもだ。「良きアメリカ人」だとされていたものを信じられなくなった人々の、その巨大な喪失を発端として社会全体に広まる不振。
建国から約200年、常に前向きだった近代国家がはじめて味わう挫折は、以後、想像以上にネガティブな方向に波及していくことになる。