菩薩

ママと娼婦の菩薩のレビュー・感想・評価

ママと娼婦(1973年製作の映画)
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大変ダラダラとしている、倦怠と言うより怠惰と評した方が良い、堕胎にも似ているし。特に何が起きることも無い、朝起きる、カフェに行く、酒を飲む、SEXをする、夜眠る、間に喋る喋る喋る、音楽を聴く、泣く、と言ったところか。SEXに関してはもはやゲシュタルト崩壊寸前である。もしこの作品及びガレル『恋人たちの失われた革命』、ベルトルッチの『ドリーマーズ』なんかでオールナイトでも組もうものなら、世界からSEXの概念そのものが消滅する(俺の世界からはとうに消えている)。ママと娼婦、母親とは娼婦で無い者を指すらしいし、それは裏を返せば娼婦とは母親で無い者を指すとも言えることになる。とまぁはっきり言ってそんなものも男性から見た勝手な戯言に過ぎず、性的に欲求される女性、性的に欲求する女性、そのどちらもが当然女性なのであり、この作品の女性二人も、どちらがどちらという事も無く、ただひとえに女性であろう。フランス語でオーガズムに達する事を「小さな死」なんて言う(らしい)わけで、ってなると当然バタイユが出てくるがそこはめんどいから割愛して、あの最後のレオの顔を見てしまうと、結局「小さな死」どころか、完全に男性はSEXによって殺されるんじゃないかなんて思ってしまう。オーガズムも睡眠もそれは死の疑似体験に過ぎず、崩壊→変態(メタモルフォーゼの方)を経て、母から出し者は再び母を手に入れようと邁進を続ける。自分語りが出来る者と、語っている様で何一つ語れていない者、68年以降の空気感であり、焦燥ないし諦観を封じ込めた一つの傑作なのかもしれないが、220分の尺中約20回計20分くらい寝ただろうから、採点からは逃避する、男らしいでしょ、そこんとこがまた。
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