スターリン時代後期を代表するソ連の長編アニメーション。監督のイワノフ=ワノーは20年代から活躍している、ソ連のアニメーション史の最重要人物と言ってよい存在だ。ノルシュテインの『ケルジェネツの戦い』(1971)の共同監督も勤めているからほぼ生涯現役だったのだろう。
もともとソ連にはストップモーションを含む独自のアニメーション文化があったが、本作はディズニーの影響が色濃いセル・アニメーション作品となっている。これは、単純に制作者が自ら影響を受けたという側面と、スターリンが「ディズニーを見習って大衆向けのものを作れ」と命令したという側面があった。そうやってつくられた作品は多いが、なかでも本作と『雪の女王』が(特に日本への影響という意味で)有名である。
ロシアの童話を原作とした本作はその意味でもディズニーに触発されているわけだが(監督の証言より)、全体としてみれば、戦前はおろか戦後のディズニーのクオリティにも及ばず、お話も大したことのない作品と言わざるを得ない。
ただ、ディズニーが全体的に無国籍な世界観であるのに対して(ディズニー版『白雪姫』や『シンデレラ』がどこの国なのか知る由もない)、本作は「ロシアらしさ」が画面に溢れ返っている。ちょっとした細部や雰囲気にもお国柄が表れているし、それが「いかにも御伽噺」という雰囲気をまとっている。つたなさでさえそれに寄与する。それが好ましいと思う人も多いだろう。
本作がディズニーに比べて拙いことは、むしろ日本のアニメーションを志す人々に影響を与える理由になった。例えば大塚康生は本作を観てアニメーションの仕事に憧れを抱いたらしいが、「ディズニーが絢爛たる華やかな世界だったのに比べて、『せむしのこうま』が民話の可愛らしい世界を描いていたことで、手を伸ばせば届きそうな感じがあって、田舎者の私の感性に合っていたのかもしれません」。
本作の影響といえば手塚治虫に触れないわけにいかない。本作の仔馬は『青いブリンク』だし火の鳥は『火の鳥』である。手塚治虫のこの種の事例は実に多い。『ファンタジア』のユニコーン、『雪の女王』の雪の女王……。
各国で「私たちの国の長編アニメーションをつくるぞ」というとき、やはりというか民族色の強いものになる。中国の『鉄扇公主』(1941)や本作もその例に入るし、日本のプロパガンダ・アニメーション『桃太郎 海の神兵』にしてもキャラクターは日本に伝わる昔話『桃太郎』から採っているわけだし、富士山のように日本人の自己像が投影されたイメージが登場する。
興味深い証言がある。監督のイワノフ=ワノーによれば本作のきっかけはディズニーの『白雪姫』だったという。グリム童話の原作にした同作に触発されて、ソ連のアニメーターたちは自国で語り継がれてきた物語に目を向けたというわけだ。これまでディズニーのカートゥーン作品が模範としてソ連のクリエイター達を縛ってきたが、そのディズニーの『白雪姫』によって覚醒したと。
ディズニーという暴力的ともいえる普遍性を身にまとった存在に触発されたはいいが、技術的にはとうてい及ばない各国の人達にできる精一杯の抵抗、それが自国文化の強調……という面もあったのかもしれない、などと想像する。
もうひとつ本作で興味深かった点は、お姫様がアジア系だったことである。彼女が、当時共産主義の同盟国だった中国のことであることは間違いない(時代が下ると二国の関係は険悪になるわけだが)。