教授

マッチ工場の少女の教授のレビュー・感想・評価

マッチ工場の少女(1990年製作の映画)
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勝手にアキ・カウリスマキのデビュー作だと思い込んでいた作品。
新作「枯れ葉」の公開に合わせてと、ストリーミングでたくさん配信されているので鑑賞。短いし。

短編から中編くらいの尺で、主人公のイリス(カティ・オウティネン)の生活が実に味気なく描かれる。
表情もなく、会話もほとんどなく。
マッチ工場での労働と、家事。
生活手段をイリスに依存している両親もまた、ただただテレビを観ているで味気ない。
自分の給料日に買ったドレスすら理不尽にも咎められ、家庭内は地獄のようだが、描き方は非常に淡泊。
息抜きの娯楽としてのディスコでも歌い踊る人たちも一様に楽しそうには見えない。

つまり、人生の中での「息抜き」には、バイアスがかかっていて、意外にも心の底から没頭していることなどほとんどなく、過酷な現実を紛らわせるために、自らが引き寄せて「とりあえず楽しんでる」に過ぎないという諦観と虚しさが表現されている。

この「楽しくなさそう」な光景を楽しめるかどうかが、本作の評価の分かれ目だと思う。
僕は世の中の大体のことが「楽しくない」人間なので、この視点、風景は心地良い。
その中で、他にできることがない、あるいはすることがないイリスにとって人生を学ぶ場所も、喜びを実感できる場所も限られ奪われているというのは、今の日本とも重なる気がする。

その心の空洞感と白知性。それがカウリスマキの言う「プロレタリアート」を主人公にした映画ということになるのだろう。
最終的に「凶行」に及んだ事後ですら、同じ空気やテンションを維持できているのも、無常なくらいに即物的に世界が進行しているのも生きている場所が穏やかだが確実な「地獄」に違いないからで、じんわりと世界の姿が浮かび上がる。
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