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冬の華のodyssのレビュー・感想・評価

冬の華(1978年製作の映画)
4.5
【ヤクザ映画へのレクイエム】

まぎれもなくヤクザ映画ではあるし、冒頭からして裏切り行為を働いたヤクザを高倉健が追って殺すシーンから始まるので間違えようもないのですが、しかし通常のヤクザ映画とは明らかに異なるところがこの映画にはあります。というか、これはヤクザ映画の形式をとりながら、ヤクザ映画へのレクイエム(鎮魂歌)となっている点で、特異な作品なのです。

殺した相手の残した娘に「あしながおじさん」として送金しつづける高倉健。そして美しく上品に成長し、チャイコフスキーのピアノ協奏曲が好きだという少女(池上季実子)。この設定は、一見すると自分が殺した相手の子供にストイックに送金する高倉健の姿がカッコイイので、ありがちなヤクザ映画のように見えますが、実はヤクザの解体を暗示しているのです。

ヤクザの父親を持ち、その父を殺されながら服役中のヤクザからそれとは知らずに送金してもらって成長してゆく美少女。高倉健はあくまで自分の正体は隠し、少女をまともな世界の住人にしようと努力しています。少女がクラシック音楽を愛好することは、彼女がヤクザとは無縁な世界の住人に育っていることの象徴なのです。

少女だけではありません。高倉健のボスも、シャガールの絵に入れ込んで、挙げ句の果てにそれを餌に・・・・・という筋書きをよく考えるなら、本来ヤクザの親分である人物が西洋美術にイカれてヤクザらしい剛毅さを失っている有様が見えてくるはずです。

また、ヤクザの息子が名門私大を受験して、合格したという電話を受けた父親がびっくりするシーンもある。本来金持ちのお坊ちゃんが行くところである名門私大に合格した息子は、ヤクザの父親とはまったく別種の人生行路を送ることでしょう。

この映画が作られたのは1978年、戦後日本が高度成長をへて十分豊かになってきた頃です。かつては食いつめ者の行き場として機能してきたヤクザの世界も変質を迫られる。普通の日本人の暮らしが変わっていく中で、ヤクザももはや昔のヤクザのままではいられなくなる。クラシック音楽を愛好する少女や名門私大に受かる息子といった若い世代だけではなく、シャガールに惹かれる親分のような老いた世代まで変わっているのです。

経済的な豊かさだけではありません。ヤクザ映画は反体制的な若者(や政治中年)の共感を集めながら作られてきたといういきさつがありますが、80年代を目前にして左翼は大幅に後退し、日本の政治の季節が終わりを告げようとしていたことも関係しているでしょう。ちなみに、鶴田浩二、高倉健、藤純子らを主演をするヤクザ映画の製作は60年代半ばから70年代初めにかけてが最盛期でした。80年代に入っても『極道の妻』シリーズなどが作られていますが、内容的には最盛期の熱気や男気を失ってしまっているように思われるのです。

主人公・高倉健は時代の変化を感じ取り、自分もヤクザの世界から足を洗おうとします。しかし・・・・。冒頭のシーンと最後のシーンに現れる風ぐるまは、時代の変化に対応しようとしながら運命の皮肉によってヤクザの世界に舞い戻らざるを得ない主人公の姿を見事に象徴しています。ヤクザ映画へのレクイエムが最上のヤクザ映画になっている。そこに私は、日本のヤクザ映画の持つ不思議な特質を感じるのです。
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