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YOYOCHU SEXと代々木忠の世界のろくのレビュー・感想・評価

YOYOCHU SEXと代々木忠の世界(2010年製作の映画)
2.7
みんな「ほんとうの自分」というのを求めすぎだよ。

代々木忠といって知っている人がいるだろうか。確かに面白い人物だ、AVの監督であるが、その一方で性の伝道者だとも思う。若いころは代々木の生き方みたいなのにあこがれもしたし、評伝も読んだ(いそのえいたろうなんかの本ね)。その時は今を突き抜ける「新たな世界」に連れて行ってくれる人でもあった。

でも今、この年でこの映画を見ると良いイメージより悪いイメージが多い。これはそのまま洗脳でないか、そう見てしまった。そもそも「上手くいってない人」に手を出すときに一番大事なのは「今のあなたはほんとうでない。ほんとうのあなたは別なところにいる」って言うことだ。現時点の否定、そして未来の「別世界の」肯定。それは宗教(ここで大事なのはそれは伝播される宗教であり受け取られている宗教だ)でしかない。さらに言えば悪質な人心掌握のテクニックだ。さらに困ったことはそのことを代々木自身が無意識にやっているということ。つまり代々木も掌握しているつもりが「掌握されて」いる。そこでは「信じる」ことによって共同体が出来るだけだということを見せつけられてしまう。

ここで考えたのはそれが僕が一番嫌いな「集団化」の論理でないかということだ。集団は「現在」を見ない。ありもしない(それは今後起きないという意味でない。未来は現在から見れば全て「ありえない」んだ。でも人は「未来」を「あるべき自分」を「ある」と思っている)「未来」を求め、今を否定する。そしてその考えを無意識に増幅し、共調させる。

だから僕はこの映画を見て「気持ち悪い」と思ってしまった。そこにあるのはお互いの傷を舐め、ともに「ありえない」世界に向いていく人たちだ。それを「女性の本当の姿」といい見せつける。怖いぜぇ。暴論かませば結局「男社会」を補完するだけの映画なんだ。僕は是としない。

※ここまで書いたけど加藤鷹が代々木にけちょんけちょんにされるシーンは見もの。いつも半笑いの加藤が怒りと屈辱で裸で部屋を後にするシーンは少し映画的なものがある。

※どうも僕は集団に対して忌避反応が起きてしまうので、少しばかり通常評価より辛目である。「力を合わせれば」「絆」そんな言葉が何より好きでない。集団化することにより暴徒と化してしまう人間を見ているからだろう。だからか教職だと言うのに「部活」にも否定的だ(日大のアメフトなどそれの最たるものだろう)。良さは認めるのだけどね。
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