佐藤でした

ママの遺したラヴソングの佐藤でしたのレビュー・感想・評価

ママの遺したラヴソング(2004年製作の映画)
3.6
18歳のパーシーは、母親の訃報を知り、故郷ニューオーリンズに戻る。母が住んでいた家を訪ねると、そこには母を看取ったという見知らぬ2人の男が住みついていた。
母の友人と名乗る元大学教授で現在はアル中の男ボビー、その助手で作家志望の青年ローソンの2人と、パーシーは気不味い共同生活を始める…。

ジョン・トラボルタ扮するボビーの話す言葉のほとんどが、小説か哲学書からの引用で驚く。
その羅列の度合いが過ぎるので、映画の脚本としていかがなものか?と途中イラッときたのだけど、それは全くの考え違いだった。
ボビーがあまりにも本を愛し過ぎていたからだ。本の中の思想や空想に浸る時間が長過ぎて、現実と虚構が入れ替わったような精神状態にあったのだ。お酒の力も相まって。

「他人の言葉でしか語れない」ということは、人と人が会話をしているようで、それは成立しておらず、どこか“他人の言葉”が壁となってしまって相容れない。それは少し寂しい状況なのだった。

そんなボビーを理解しつつ、パーシーはパーシーで今までおろそかにしていた学業に専念することにする。そして徐々に、疎遠だった母のことをこの街で知っていく…。

「親って子供の変なところを覚えているでしょ。私にもそういう可愛いところがあったと思うのだけど。誰も見ていてくれなかった」

して欲しかったことが、ささやかであればささやかであるほど、切なさが増す。
直接的な愛は受け取れなかったかもしれないけれど、さびれたこの街に母の匂いは確かに残されている。

…派手さはないが、ニューオリンズの長閑な風景とその生活感がいい雰囲気を醸し出す、人間味のある作品だった。
草むらに円く置いたソファーの上の井戸端会議とか、客席と同じ高さのジャズミュージックとか、いいなぁ。
佐藤でした

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