アキラナウェイ

魔女の宅急便のアキラナウェイのレビュー・感想・評価

魔女の宅急便(1989年製作の映画)
5.0
スタジオジブリ作品を初めて映画館で観たのは、小学4年生だった1988年。「となりのトトロ」を観たかったのに、「火垂るの墓」との同時上映でテンション鬼下がりだったなぁ…。

「魔女の宅急便」を劇場で観たのはその翌年。何度も繰り返し観ているけれど、久し振りに金ローを録画して再鑑賞。

魔女の母と人間の父との間に生まれた少女キキ。13歳になれば魔女のいない町で1年間修行するという古いしきたりに従い、相棒の黒猫ジジと共に箒で飛び立ち、やがて港町コリコに住む事を決めるが—— 。

そよ風が吹く丘で仰向けに空を眺め、ラジオの天気予報を聞きながら、急に旅立ちを決意するキキ。慌ただしく準備を進め、晴れた満月の夜空を箒に跨り、不格好ながら舞い上がる。風に煽られながら、ラジオから流れてくるのは荒井由実(松任谷由実)の「ルージュの伝言」。

完ッ璧な旅立ちのシークエンス。

やっぱり良い。
宮崎駿は天才だと確信する。

辿り着いたコリコの街は洗練された大都会。周囲の人々の反応もよそよそしく、到着早々気分が沈むキキ。しかしパン屋のおソノに出会い、空飛ぶ宅急便屋を開業していく中で、喜びや挫折を味わい成長していく。

1人の少女の成長譚として実によく出来ている。

おソノをはじめ、空に憧れる少年トンボや、絵描きのウルスラ、キキと親しくなる老婦人。登場するキャラクターは誰も彼もが優しいが、必ず等価交換でキキに労働を要求しているのが特徴的。パン屋の手伝いをする事で住まいと朝食を提供してくれたおソノも然り、キキのピンチを救う代わりに山小屋の掃除を頼むウルスラも然り。

13歳の少女だからといって、ただ甘えてばかりは許されない。きちんと自立して相手に奉仕した分だけ報酬を貰えるという、社会では当たり前のルール。

面白いのは、誰も悪い人はいないけど、全てキキの目を通した偏見や羨望がその人の印象を歪ませている描写。トンボやその取り巻きの少年少女達も、キキの見え方次第で良くも悪くも見えているのが興味深い。

魔女、そして魔法という設定をベースにしながら、寧ろファンタジーな要素は控えめに。

魔法といっても呪文を唱えるのではない。魔女の血で飛ぶという解釈。

「魔女の血、絵描きの血、パン職人の血。神様か誰かがくれた力なんだよね。おかげで苦労もするけどさ」

ウルスラの台詞が死ぬ程好きだ。

魔法=血=才能。
いや、才能なんて程の持って生まれたものでもないか。自分を信じる力=自信。それが本作の魔法の定義のような気がした。

キキが飛べなくなったのは、魔法が弱まっている=自分に自信が持てなくなったからなのだろう。

そして、ジジが言葉を話さなくなったのも、キキが自立して1人で生きていけるようになったから。対話するもう1人の自分が必要なくなったのだ。

1人の少女が落ち込み、傷付き、挫折するけど立ち上がる姿に勇気付けられ、観る度にその解釈も深まっていく。何故なら僕自身も小学生だったあの頃から自立し、大人になったから。

落ち込んだりもするけれど、
私、この作品が好きです。