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拝啓総理大臣様のotomisanのレビュー・感想・評価

拝啓総理大臣様(1964年製作の映画)
4.0
 「拝啓天皇陛下様」から「拝啓総理大臣様」と変わる間にはどんな交信が起きていただろう。わずかに思い出したのは

 「詔書 國体は護持されたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民飢えて死ね ギョメイギョジ」

である。

 食糧難の頃、配給が届かない足りない、買い出しに走れば取り締まりで没収される。官憲が進んで「人民」を困窮に追い込む事への怒りを踏まえて起こされた1946年5月の食糧メーデーで掲げられた数多のプラカードの文面の一つがこの天皇からの返信に相当する詔勅、天皇からの「死ね」との命令の模造である。

 これを発したのは共産党の活動家の人で、この文はまだ新憲法公布にも至らない当時、天皇政治へのパロディとして記したと証言している。
 国民に食糧を行き渡らせず、自力調達を簒奪で戒める暴力に関して、その根源の天皇の悪意を推測したものと解される。新憲法公布の半年前、施行1年前、不敬罪がまだ効力を持つ時期の事である。

 「拝啓天皇陛下様」と認めても届く事のない信書だったが、「ナンジ人民飢えて死ね」は信書ではなく報道として天皇にも届いたことだろう。そして、「裕仁よ、これがあなたの真意でしょうか?」と聞き取れたのではないか?

 軍政を取らなかったGHQが左翼勢力にも寛容と見えたそれまでに対し、冷戦の兆候も明らかとなり、GHQは食糧メーデーに左派の暴力的示威の素地を見て取って、暴民デモへの戒めを発するが、同時にかの一文での不敬罪成立にも否定的見解を発する。
 左派の革命的気分がそれで急に冷めていくのと共に名誉棄損こそ問われてももう不敬には当たらないという、どこか中途半端な雰囲気が現れていたようだ。とはいえ、そうでなくとも天皇制支持者は9割、象徴天皇支持5割近くを数えた時節、あの一文は多くの人にやはり不敬の臭いを勘づかせたのだろう。

 プラカード事件から1年、新憲法が施行されると、もう天皇陛下に信書を送る意味もなくなる。さらに20年経つとマッカーサー将軍もいなくなってファンレターも陳情書も持ち帰られたか焼き捨てられたか。では、1964年のトップ、総理大臣にはどんな信書が届くのだろうと思ったら、すでに1946年で事態は一変、新聞報道からさらにテレビ経由に替わって公開生中継、漫才コンビがお笑い半分で時事ネタを届ける。
 この変化の時期、経済成長と重工業化は恐る恐るから所得倍増のための積極策になり、国防を米国依存とする引き替えに軍用地と経費負担で軽減化する方針が固まる。オリンピックへの気負いとやがて迫られる貿易の自由化への恐れ、輸出立国化で新しい摩擦が起きる不安があるのはどこの誰で、総理大臣以下閣僚らと国会議員、監督官庁職員に輸出企業、関連団体の担当者で国民の何パーセントかになるだろうか?

 そんな話はまるで知った事でない「てんのじ村」の漫才師未満で犬殺し、渥美角丸が亡き師匠ゆずりの新世界界隈でしか通用しないきったない芸を亡師の遺志を酌んで流行らせたろと息巻く。
 この渥美の元の相方が東京でヒット中、時事漫談「拝啓総理大臣様」の長門ムーランで今の相方は細君の横山ルージュ。しかし、彼らもつなぎのうどん粉、ムーランは角丸とではテレビ界で全く反りが合わず、角丸はヘルスセンターの余興舞台と旅役者の掛け持ちで糊口をしのぐ。
 その相方が袖擦り合おた黒人娘文子で京言葉が何故か似合おとる。京都でハーフに生まれついて、「おばはん」のいる羽田に向かう道中、角丸に会おて、お笑いなんかどこからも湧いてきぃへんけど、ただひとり面と向こぉてくれた角丸に命を託して角丸の相方で生きよと決めた。そんなもん容易なこっちゃおへんぇ。
 そんな決心が固まってゆく傍らでは「おばはん」まり子が本当の母親と知れ、交通事故で見舞金50万を稼いで、その加藤亭主は文子をクロンボのなんのとゆうて追っ払いに掛かるけど、戦後まだ18年、加藤のおっちゃんと産んでしまったお母はんまり子の苦い苦い思い出も、生まれてしまった文子の笑えないこんにちまでも、みなあの「ナンジ人民」あの頃にたどり着く。
 彼等、選挙権未満も選挙権てなんや?連も、なりたきゃ勝手になりさらせソーリデージンと今日も政治に背を向けて、ヨッパライ加藤のおっちゃんはちっちゃな車に轢かれて過失相殺20%減額となり、文子は黒い肌を白塗に角丸は四角い顔を黒塗りにしてヘルスセンターのみんなを笑わせて厚生行政を手助けしてる。
 もう「拝啓」なんて上品ぶって笑いを稼ぐ話は遠い向こう。敗戦国の復讐を目指して稼ぐ世間の総中流化が政治はご勝手にと護送船団行政と何かの捌け口のように勝てない左翼だけを期待するようになる。
 松下幸之助は「国民が政治を嘲笑しているあいだは嘲笑に値する政治しか行なわれないし、民主主義国家においては、国民はその程度に応じた政府しかもちえない」と思ったそうだが、おまんまが食えるその先にミンシュシュギがあるんなら先ず毎日腹いっぱい食えてのこっちゃろ、と選挙未満のきったない芸人と黄色ンボを笑い飛ばすクロンボ芸人に笑い飛ばされそうだ。

 と、そんな話はまるで知った事でない労災病院からは角丸の元相方ムーランの浮気の相手だった原・のり子の弟の圭が義肢製作に生きる道を開こうとしているが総理大臣と何の関係があろう。
 ただ、義肢装具士法の施行は1988年、四半世紀先の事である。これで義肢装具士は国家資格となるが、下肢障害者の圭らがいちから働いて漕ぎつける成果と思うと物語の埒外ながら国民の政治参加の結果が出たという事になろう。
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