映画漬廃人伊波興一

非情の罠の映画漬廃人伊波興一のレビュー・感想・評価

非情の罠(1955年製作の映画)
3.3
才能ある芸術学生のような初々しさ。当時27歳の倒錯性。
キューブリックにもこんな時代があったのか、と思えるだけで充分です。

スタンリー•キューブリック
『非情の罠』

ヒッチコックの『裏窓』でもお馴染ですが、1950年代(もしかしたら現代にも残っているかも?20年以上アメリカには行ってないからわかりませんが💦)ニューヨークの定番風景のひとつ。
カーテンを開けて電気ひとつ点ければ互いの様子がひと目で分かる向かい合うアパート。
この『非情の罠』もやはり同じグリニッジビレッジが舞台でしょうか。

冒頭で、落ちぶれたボクサー、デイビー(ジェイミー•スミス)とギャングポスの娼婦グロリア(アイリーン•ケイン)が向かいの窓を見た瞬間、目が合うのは当然の事。

翌朝、グロリアがボス•ビクトリア(フランクリン•シルヴェラ)の待つ車に乗るために、そしてデイビーは試合に行くために、それぞれが示し合わせたように同時に部屋を出て、階段を下り、出口で会って気まずい会釈をする。
そんな交互に映されるショットの連鎖、いわゆるクロスカッティングにまずは唸らされます。

そして試合の直前のデイビーが緊張感や焦りから、部屋の中をうろうろしているとき、向かいのキャミソール姿のグロリアが視界に入りながらも、故郷から電話があり、窓と反対側にある鏡に、向こうの窓越しに彼女が映る、
飼っている魚にエサをやるとき、水槽の手前にカメラを置き、その向こうにデイビーの顔を映る。
この歪んだ視線の交錯は何なのか。

さらにグロリアとデイビーの友人アルバートが建物の入り口に立つ場面。
入口扉を内部の階段上から撮り、二人を扉のガラス越しに背中から見せるカメラワーク。21世紀の現在からすれば青臭い見え透いた演出かもしれませんが、これからの展開のクライシスが、階段の模様に触発されるように胸のざわつきを抑えきれません。

アルバートが殺されるシーンでは、手下二人を背後から映し、真っ黒なシルエットになるわ、デイビーがビクトリアと手下一人から追われる屋上のシーンや、無人の倉庫街のシーンでは、相当の奥行きをとって、対象をフレームの中ギリギリで走らせるわ、もはや子供が玩具と戯れるようにキャメラを自在に操ります。

極めつけはデイビーが追われて逃げ込んだのはマネキン工場の場面。
ずらりと並んだマネキンの中で、ビクトリアと格闘しますが、マネキンの顔だけやぶら下がる手だけをインサートカットするという、当時27歳の倒錯性。

シノプシスだけを拾い上げれば、全くトーンや起伏に欠いた退屈なこのドラマを、カメラワークと映像だけで不穏なサスペンスを醸していく手腕はさすがです。

これから映画作家を志す方、テキストとしてご覧になれば如何でしょう。
これだけ遊んで上映時間67分に収めているのも現在から見れば離れ技です。