かなり悪いオヤジ

父ありきのかなり悪いオヤジのレビュー・感想・評価

父ありき(1942年製作の映画)
4.0
(あらすじ)
妻に先立たれ、男手一つで息子を育ててきた金沢の教師・堀川(笠智衆)は、修学旅行の事故の責任をとり辞表を出す。息子を連れて故郷の長野県に戻った堀川は村役場で働くことになる。息子の良平(津田晴彦)は中学に進み寄宿舎に入り、堀川は単身上京してもう一働きして良平を進学させてやりたいと話す。その後、良平(佐野周二)は仙台の帝大に進み秋田の学校で教職につく。父は、金沢時代の同僚だった平田(坂本武)の娘(水戸光子)を貰ってはどうかを良平に聞く。良平は照れながらも任せると言うが、数日後、堀川は急に倒れあっけなく息を引き取った。そして、良平とふみは秋田県へ向かうのだった。
松竹株式会社 ホームページ 【作品データベース】父ありき より

GHQの検閲によりカットされた約7分間の未公開部分がなんとロシアで?発見され、今年開催されたヴェネチア映画祭において、現存の127分+7分の計134分の完全レストアバージョンが記念公開されたらしい。残念ながら私は今回127分のリマスターバージョンをYouTubeにて拝見させていただいたのだが、完全版を観た方のお話によると笠智衆による「正気歌」吟詠シーン、息子役佐野周二の甲種合格報告シーン、ラストの劇伴「海行かば」の軍歌がGHQによりまるごとカットされていたそうな。

要するに見た目日本人の戦意を高揚させるような場面だけカットされていたわけで、アメリカ人の検閲力もその程度か、と小津も内心思ったことだろう。なぜなら、敗戦前に制作された本作はおそらく、笠智衆演じる堀川を昭和天皇にオーバーラップさせた、日本人の愛国心そのものを描いた作品のように思えるからだ。親御さんから預かった生徒の管理者でありながら、修学旅行で事故死させてしまった責任をとり教師を辞職する堀川は、戦後まさに戦争責任をとって現人神から人間に降格させられた天皇陛下そのもののお姿のようにも思えるのである。

日本の若き巨匠濱口竜介はそのヴェネチア映画祭において故吉田喜重監督の著書『小津安二郎の反映画』から次の一節を読み上げという。
 「陽差しのみちあふれる渓流で、流し釣りをする父と息子。
 釣り糸を急流に投げかける、その反復の単調きわまる動作に、なぜかわれわれは魅せられる。
 そして反復の果てに起こるずれ。
 やがて成人した息子は、ふたたび年老いた父と流し釣りを試みる。
 そのとき無言のうちにあらわになるのは、過ぎ去った時間である。」

堀川親子が河原にならんで、まるでシンクロするように同じキャスティング動作を何度も繰り返す美しいシーン。現人神であった天皇と息がぴったりあっていたはずの日本臣民だが、戦争を通じて微妙な呼吸のズレを経験し、ついには息子から小遣いをもらう身分(軍の傀儡)にまで落ちぶれてしまうのである。2人が風呂から上がって誰もいなくなった塩原の湯船を何度も映し出した小津は、“雲上人”不在の空席をただただ寂しそうに見つめるのである。

親子でありながらなかなか一緒に暮らせない良平が、観光先の塩原温泉で「父さんと暮らしたい(戦争前の関係に戻りたい)」と懇願するのだか、「それはならん」と息子いな国民の要請を頑なに拒絶する。諸説ある小津得意の“切り返しショット”も、天皇陛下と直接目を合わせることがはばかられた日本国民の奥ゆかしさを意識した演出であり、当時32才だった笠智衆に老けメイクを施し、どこか人間離れした人格者として描いた小津の真意もそこにあった気がするのである。

敗戦によって現人神=天皇と臣民であった日本国民との関係性が変化したことにより、日本人の精神性も大いに影響を受けたのではないか。本作後に撮られた一連の作品には、笠智衆演じる父親とその子供たちを通じて、その変化に対する小津なりの考察が描かれていたと思うのである。次作『風の中の雌鳥』では、ある夫婦の愛息子を昭和天皇と同じ名前“浩くん”と名付けて、より直接的に天皇陛下について言及する映画を撮りあげ、日本人の精神性の変化について観客に考察を促そうと試みたのではあるまいか。私個人は本作を観て強くそう感じたのであった。