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麦秋のotomisanのレビュー・感想・評価

麦秋(1951年製作の映画)
4.3
 波打ち際をそぞろ歩く犬の足取りも心地よげに始まる。あの時代の日本はこの犬ほど自由だったろうか、と考えるべきか、むしろ、いっとき首輪の外れた嬉しさを想像して共感を覚えたろうか。
 それというのも、こんな敗戦国だが時代は隣国での戦争によって生まれた特需で景気も上向き、単独か全面か意見は割れても、雰囲気、講和も間近。単独講和なりとも成立すれば晴れて独立だ、さよならGHQ。
 しかし、もとより独立生活犬なら首輪も何もあるまい。人間界の隅っこでお零れに与りながらの憚りだらけな日々、それでも斯くも自然と自由であるに違いない。そんな彼等の自由だが、いつまで続くだろう。

 犬が自然と自由であるように原節子も身の振り方を自由に選んでゆく。原のいる間宮家2世帯7人の妙に起伏なだらかな暮らしが続く先で、やがて原が結婚を決心して秋田の地へ去る事になり、名残の或る日兄嫁とふたり、未だ太陽族とは無縁の春晩き浜を遊べば鎌倉の海は笑うが如し。
 ただし、夫となるリケッチア研究医は旧知の人だが、亡き先妻との娘一人を抱えており、さらに間もなくツツガムシ病の最前線、秋田に赴任するところであって、間宮家では誰もがその決心に戸惑い、翻意を促してくる。
 友人らは、貴女秋田に行ったらモンペを穿くのよ、と冷やかし、てっきりアメリカ風の住宅でベランダからハーイなんて手を振って寄越して冷蔵庫から冷えたコークを持ってきて勧めてくるような奥様像を抱いてたなどとも言う。なるほど、これが都心勤務の英文タイプBG的ベストな人生設計像であるかと感じられる。傍目振れ幅の大きな原節子だ。

 戦争犯罪国として工業立国、貿易立国への再起が危ぶまれたのが、戦争景気と冷戦の瀬戸際に立たされた事で覆り、さらに、好景気を支える力も復興の悲願から、よりよい未来を獲得する意欲へと転換してゆく時節でもあったろう。
 そんな、時代の気分の中で女に選択できる最も獲得しがたい職であろう商事会社勤めのその先に玉の輿を想像するのは当然のことに違いない。それを原節子は軽々と跨ぎ越して、出征し南方で未帰還となった次兄の友人であった医者に、慣れ知った当人の人柄ゆえ従うという。

 敗戦から6年、シベリアの長期抑留、南方も残地牒者と拒否者を除けば兵の帰還はほぼ大詰めとなったが、戦死通報もない次兄は間宮家の戦争の終わりを画してはくれない。父親は諦め時と語り、諦められない母親は口を閉ざす。時代は勝手に移ろって、間宮家にも小学坊主たちの仲間が隣近所から集まってくる。新世代の子どもたちの歓声に覆われて、未帰還の子どもたちはやがて記憶の隅まで押しやられるだろう。しかし、その前にその両親、すでに退官した植物学者夫妻も故郷への隠遁を決心するようになる。
 間宮家にとって謂れある事とも思えないが、核家族化の動きが始まり、この鎌倉の家も間もなく長男夫婦とその坊主たちだけになってゆく。待て、この子たち二人こそ後の太陽族を、「太陽の季節」の竜哉と道久を担うのであろうか?
 永年の不自由が少しずつ着実に取り払われてゆく分、家族もそれぞれの方向を向いて動き出す。あの子供たちも早速、おそらく最後となるだろう家族写真撮影の場でキャップを冠ろうか否かで母親と攻防を示す。果たして己が意は母親のそれと違い冠るであった。そのことが笑い話として語り継がれることを監督は願うのだろう。
 昭和二十六年の晩春はこのように静かに間宮家に大きな節目をつくって暮れてゆく。

 そののちの日々の語り部を老学者夫婦に任せ、大和の実家での事に預けたあたりが監督の爺むさいところだが。実った麥の向こうを行き過ぎる花嫁道中を見送りながら、それに秋田へ片付いた娘を重ねて、戻って来るな、と念じるのだろう。
 戻れと願った次兄は戻らず、自らもこうして流れ着いたまほろばから、もう鎌倉に戻る事もあるまい。過日、帝室博物館で仰いだ空に吸い込まれてゆく風船を眺めては、手放したものは泣いてももう戻らないと噛みしめた事がよみがえる。そんな空の下では麥がまた来年も実るだろう。その繰り返しをあと幾たび眺めるだろう。
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