SANKOU

麦秋のSANKOUのネタバレレビュー・内容・結末

麦秋(1951年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

特に大きな事件の起こらない日常を描いた映画は他にもあるけれど、この『麦秋』ほど淡々と日常を描いているのにも関わらずドラマチックで引き込まれる作品はないと思う。
誰かが亡くなる描写もなければ、失恋シーンもないし、登場人物がとても貧乏な境遇にあるわけでもない。
むしろこの映画に登場する間宮家の人たちは鎌倉に居を構える中流階級以上の優雅な暮らしをしている。
この映画がこれほど面白く感じるのは、小津安二郎が紡ぎ出す台詞のおかしさにあると思う。
絶妙に抑揚を抑えながら発せられる台詞のひとつひとつが、何とも長閑で、しかも微妙に噛み合ってなかったりするのがいい。
この会話のやり取りの噛み合わない感じは、そのまま今までの価値観と新しい時代の価値観とのズレを表しているのだろう。
この映画の大きなテーマは結婚することの幸せとは何かということだろう。
間宮家の次女紀子は28になるが、まだ結婚する意志はない。父親の周吉の「もう(嫁に)やらなくてはいかんよ」という言葉が時代を感じさせるが、当時の日本では28の女性は結婚しているのが当たり前だったのだろう。
面白いのが紀子と同じく独身のアヤが、すでに結婚している高子とマリという学校の同級生と議論を闘わせるシーンだ。
高子は結婚していることを「実績」という言葉で表すが、要するに結婚していない人には幸せを語る資格はないと宣言するのだ。
それに対してアヤはそんな幸福は競馬に行く前のワクワクさと同じだと反論する。
未婚者の二人には些細なことで旦那と喧嘩して飛び出してきた高子や、雨に降られて新婚旅行先の温泉旅館で二人そろってコマを回していたマリが滑稽に思える部分はあるが、同時にそんな二人の姿が羨ましく思えるのも確かだろう。
結婚だけが幸せではないと思うが、独身でいるとふとした時に言い様のない寂しさを感じることもある。
特に紀子とアヤが寂しさを覚えるのは、マリも高子も学生時代はいつも仲良しで一緒にいたのに、それぞれに家庭を持った途端にだんだんと疎遠になっていくのを感じてしまった時だ。
一緒にいる時は気づかないが、離れ離れになってしまった時に感じる寂しさはこの映画のもうひとつのテーマでもある。
周吉は妻の志げに「今が一番幸せな時かもしれないよ」と告げる。
長男の康一には史子という妻がいて、実と勇という二人の息子もいる。
今はひとつ屋根の下に暮らしているが、これで紀子が結婚して家を出て行ってしまえば寂しくなるだろう。
この達観した周吉の姿がこの映画に深みを与えている。志げはもう少し感情的で、紀子の境遇を不憫に思って涙を流したりする。
紀子に縁談話が持ち上がるが、相手は由緒正しい家の出だが年が紀子よりも一回りも上だ。紀子がこの縁談をどう思っているかは曖昧だが、史子も志げも相手の年を聞いて困惑する。康一は贅沢言える身分かとそんな二人の様子を諫める。
そんな彼らの紀子の幸せを願いながらも、結局は自分たちが納得出来るかどうかが重要だという姿勢は分からないでもない。
最終的に紀子は康一の同僚であり子持ちの謙吉という男との結婚を決める。
謙吉は秋田への転勤が決まっており、東京を離れたくない彼の母親たみは何ともやりきれない思いに涙を流す。
そんなたみが紀子に、彼女のような娘に嫁に来てもらいたかったと胸のうちに閉まっていた思いを打ち明けると、紀子は「私のような売れ残りでいい?」と答える。
このシーンは感動的だった。
しかし康一はそんな大切なことを親にも相談しないで決めたことに立腹し、志げは子持ちの相手と秋田に行ってしまう紀子を不憫に思い、これなら前の縁談の相手の方が良かったのではないかとこぼす。
当の紀子は自分の幸せはここにあるのだと自信を持って答えることが出来る。
確かに親に相談しないで結婚を決めたことは軽率かもしれないが、それでもたみに言葉をかけられた瞬間にすんなりそれを受け入れられた彼女の気持ちは尊重されるべきだとは思った。
「自分一人で大きくなったような気になって」とこぼす志げの言葉が印象的だった。
何だか冷たい雰囲気の家の中で、お茶漬けをかきこむ紀子の姿が逞しくも思えた。
紀子が浜辺を歩きながら史子に気持ちを打ち明けるシーンも心に残った。
史子は紀子が幸せならそれでいいのだと最終的には彼女の選択を正しいと支持する。周吉に体を気づかって優しい言葉をかけられると、堪えきれなくなって紀子は声を上げて泣いてしまう。
これもまた家族の美しい姿だ。
「別れ別れになるけど、いつかまた一緒になれるさ」という周吉の言葉が胸にしみた。
心に残るシーンの多い映画だったが、個人的に好きなのはショートケーキを食べるシーンだ。
友人の結婚式の帰りに紀子はショートケーキを買ってくる。「本当に美味しいわ」と笑みを浮かべる史子に、紀子は何の気なしに「今度たくさん買ってくるわ」と言い、後日彼女はホールのショートケーキを買ってくる。
その値段を聞いた史子はびっくりし、一気にこんなもの頼むんじゃなかったと肩を落とす。
しかしたまたま家を訪れた謙吉が「お宅ではこんなものちょいちょい召し上がるんですか?高いんでしょうね」と聞くと「安い安い、平気平気」と見栄を張るところがおかしかった。
その後におもちゃのレールを欲しがる実に康一がパンを買ってくるシーンがあって、何故パン?と思ったが、これはショートケーキとの対比も表しているのだろうか。
そういえば紀子が謙吉の嫁になることを受け入れた時に、嬉しくなったたみがあんパン食べない?と紀子に話すのも唐突に感じて面白かったが。
登場人物がいつもニコニコしているが、だからこそシリアスなシーンとの落差が大きい。淡々としていながら実は緩急が上手く計算されていることが良く分かる。
改めて小津安二郎の偉大さを思い知らされた映画だった。
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