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銀河鉄道の夜のbluetokyoのレビュー・感想・評価

銀河鉄道の夜(1985年製作の映画)
4.5
原作が誰もが知っている有名な作品をどう映画化するのだろう。子どものころに読んだような記憶はあるがまったく忘れていた。覚えているのは登場人物の名前だけ。青空文庫でちらっと読んでみると、やや、気になるところはある。たとえば、冒頭。ジョバンニは銀河がなにで出来ているのか先生に質問されるのだが、あまりに、銀河のことを考え過ぎていて答えられないのだ。それをどうやって、映画で表現するのか、ということ。空から学校を見下ろすシーン、ゆらゆらとして、やがて、学校の入口から廊下に入り、授業をしている教室、ジョバンニ、となる。これは、銀河がジョバンニの頭の中に降りてきたことを表現したのだろう。ただ、これでは、銀河のことをジョバンニが知っていたことを説明できてはいない。だからといって、原作にはない台詞を付け加えることはできないだろう。たとえば、カムパネルラに星図盤を見せられたというシーンを置いておくとよかったかもしれないが、そこまで原作を変えてしまうのは、まずいと考えたのだろうか。
原作を忘れて、独立した作品、というわけにはいかないのがつらい。ただ、そういう制約があると、逆に、面白くなるから不思議ではある。牛乳屋に行くところから、徐々に現実が歪みだし、銀河鉄道が出現するところは迫力があって、非常にうまく表現してある。この鉄道は、銀河鉄道999は言わずもがなだが(松本零士はかなり早く銀河鉄道をコミックにはしているらしい)、千と千尋も影響を受けているはずだ。
ある駅で途中下車したとき、長い長い階段を降りると、広い待合室がある。これって、千と千尋と同じじゃんか、いや、千と千尋が真似をしているのだ。銀河鉄道に戻るとき、その待合室が石になって崩れていくのも興味深い。巨大な恐竜の骨の上でなにやら発掘作業をするシーン。これも、「龍の歯医者」のイメージが酷似している。トウモロコシ畑の上に浮ている駅、超巨大な振り子時計の振り子、まるで、人生の終焉を目指して時を刻むように見える。圧巻は巨大な十字架とそこに向かって歩く人々の列。メサイアが美しい。
カムパネルラと最後には別れると判っているのに、ひょっとして、このまま、ずっと、銀河鉄道で旅を続けるのでは、あるいは、旅を続けてしまうといいと思えてしまう。それでも、最後の別れは、納得してしまう。原作も、カムパネルラとの永遠の別れを受け入れていく過程なのだろう。
最近は4Kでリバイバル上映というのをやっているけど、「銀河鉄道の夜 劇場アニメ」こそ、それをやって欲しいと思う。
作品としては素晴らしいが、マイナスなのは、はたして、ネコでよかったのかといまだに疑問に思うからだ。ますむらひろしのマンガが原案だったとしてもである。擬人化ならぬ擬ネコ化が本当に正しかったのかわからない。
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