キッチャン

未完の対局のキッチャンのレビュー・感想・評価

未完の対局(1982年製作の映画)
3.6
未完の対局

ページ
ノート
閲覧
編集
履歴表示

ツール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
未完の対局
一盘没有下完的棋
監督 佐藤純彌
段吉順
脚本 神波史男
大野靖子
安倍徹郎
李洪洲
葛康同
製作 徳間康快
汪洋
出演者 孫道臨
三國連太郎
音楽 林光
撮影 安藤庄平
編集 鈴木晄
製作会社 「未完の対局」製作委員会
(東光徳間、北京電影制片廠(中国語版))
配給 日本の旗 東宝
公開 中華人民共和国の旗1982年7月 1982年9月
日本の旗15日
上映時間 134分
製作国 日本の旗
中華人民共和国の旗日本 中国
言語 日本語
中国語
配給収入 日本の旗10.0億円
テンプレートを表示
『未完の対局』(みかんのたいきょく、中国語題:一盘没有下完的棋)は、日中国交正常化10周年記念映画として製作された、戦後初の日中合作映画。1982年公開。大正時代から日中戦争を挟んだ昭和時代にかけて、日本と中国の囲碁の天才棋士の交流を描いた作品。同名のノベライゼーションも出版されている。

製作の経緯
北京映画撮影所所属のシナリオライターで、囲碁好きである李洪洲、葛康同が、共同名による文学台本「一盤没有下完的棋」を『電影制片』1979年に7月号に発表した。これを読んで感動した北京映画撮影所の李華や、中国映画界の長老夏衍が日中合作を勧め、中国映画界の大スター趙丹が訪日した際に、この脚本を持って大映社長徳間康快に日中合作の映画化を提案した。監督には日本側は中村登が予定されたが、制作途中の1981年に中村が死去したため、『君よ憤怒の河を渉れ』が中国で大ヒットした佐藤純彌を起用。中国側の主演も当初は趙丹だったがクランクイン直前にガンで死去、孫道臨に変更された。日本側では興行的要素から主人公を棋士以外とすることを提案したが、中国側の熱意でこれを変更することはせず、脚本を安部徹郎、脚本改訂を神波史男で撮影台本を完成させる。1981年1月に神奈川県長浜海岸でクランクインし、日中両国で公開された。

製作途中、李洪洲と葛康同は訪日して呉清源らを訪問し、日本棋院では安藤武夫、近藤幸子と試験碁を打ち、それぞれ二段と三段の免状を受けた。

あらすじ
1924年(大正13年)、日本のトップ棋士である松波麟作六段は中国を訪れ、江南の棋王と呼ばれる況易山と対局するが、官憲の妨害が入って中断する。松波は易山の息子阿明の才能に惚れ込み、日本で囲碁の修行をさせるために引き取るが、その後日中は戦争の波に飲み込まれる。

日本軍の侵攻により易山は家族を殺され、中国に一人取り残された。一方の阿明は1941年(昭和16年)に日本囲碁の最高位である天聖位を勝ち取るが、軍部によって日本帰化を命じられた。帰化を拒否し、天聖位を返上する阿明。

終戦後すぐに阿明を探して、混乱期の日本に渡る易山。だが、阿明は松波の裏切りによって殺され、松波も戦死したという。失意のうちに帰国する易山。

1960年(昭和35年)に第1回日中囲碁交流の代表団として訪中する松波。戦死したという話は、易山に罪を犯させないための協力者の嘘だったのだ。易山と再会し、事実を語る松波。松波は帰化を拒否した阿明を、密航によって中国に帰そうと企てたのだ。しかし計画は軍部に知られ、阿明は港で射殺されたのだった。

事実を知り、恨みの心が解ける易山。和解した松波と易山は穏やかに、未完のままの初対面での対局について、先の手を語り合うのだった。

解説
日中戦争をはさんで、数十年にわたる日本と中国の二人の棋士の人生を描く。脚本は「野獣刑事」の神波史男、大野靖子、安倍徹郎の日本側と、李洪洲、葛康同の共同執筆、監督は「遥かなる走路」の佐藤純彌と段吉順の共同、撮影は「コールガール」の安藤庄平がそれぞれ担当。

1982年製作/130分/日本
原題:The Go Masters
配給:東宝

ストーリー
日本の名棋士、松波麟作と中国の江南の棋王と謳われた况易山は、一九二四年、北京で運命的な出会いをした。その二人の対局は官憲により中断させられたが、江南の麒麟児といわれる况の息子、阿明は、その天分を伸ばすために、日本の松波のもとに預けられることになった。才能を発揮していく阿明は、松波のひとり娘、巴といつしか愛しあうようになる。しかし、日中戦争の激化のなかで、二人の恋愛関係は複雑な波紋を周囲に投げかけた。天聖位の獲得を契機に、阿明は祖国に帰って銃をとる決意をし、妻の巴を伴って、密行による国外脱出を企てる。しかし、出航を目前に、夜の埠頭で阿明は射殺され、巴は憲兵に逮捕される。戦後、すべての家族を失った况は、息子、阿明の消息を求めて焼跡の東京を訪ねた。だが、彼は阿明が、こともあろうに、松波の謀略で国外脱出の際、憲兵に射殺されたと知らされる。さらに况は、阿明の妻、巴の発狂した姿を見せられ、松波も戦死したと聞かされる。やり場のない怒りと絶望のなかで况は、中国に帰った。だが、実は松波は生きていた。しかし、すでに碁は捨てて酒びたりの自堕落の生活をしている。一九五六年、日中間の民間交流が芽ばえる中で、况のもとに松波の訪中が伝えられた。“松波が生きていた”すべてを忘れようとしてきた况にとって、それは複雑な動揺をもたらした。今や廃墟となった旧况家で、松波と况は再会するや、松波は誰にも言えなかった阿明の射殺の真相を告白した。ただ慟哭するばかりの况。しかし、阿明と巴の遺児、華林は明るく育っていた。その孫娘に促されるように、松波と况は、阿明と巴の遺骨を美しい大湖に沈めた。そしていつしか二人は、虚空の盤の上に、三十年前の打ちかけの碁を打ちはじめるのだった。

本作の登場人物は、1928年に14歳で来日した呉清源とそのライバル木谷實を思わせる点もある。実際の呉清源は戦前、戦後にかけて日本囲碁界の第一人者となったが、中国側の脚本家は呉清源の故事が念頭にあったことを述べている[1]。

キャスト
況易山:孫道臨
松波麟作:三國連太郎
况阿明(少年時代):劉新
况阿明:沈冠初
况巴(松波の娘):紺野美沙子
恩田忍(松波の妹):三田佳子
况華林(阿明と巴の娘):伊藤つかさ
况婉怡:黄宗英
况阿恵(少女時代):茅為恵
况阿恵:沈丹萍
関小舟:杜彭
恩田雄二:山本亘
森川:石田純一
森川よね:乙羽信子
立花医師:松坂慶子
張医師:于紹康
篠原八段:中野誠也
橋本隆吉:大滝秀治
黒田参謀:待田京介
尾崎大佐:室田日出男
情報局・滝井:小林稔侍
小阿恵:張磊
張医院の書生:林道紀
警察署長:織本順吉
日本領事:鈴木瑞穂
日華會館婦 : 小川眞由美
スタッフ
監督:佐藤純弥、段吉順
製作:徳間康快、汪洋
プロデューサー:佐藤正大、王志敏
脚本:神波史男、大野靖子、安倍徹郎、李洪洲、葛康同
撮影:安藤庄平
美術:木村威夫
編集:鈴木晄
音楽:林光
照明:熊谷秀夫
録音:橋本文雄
助監督:出倉寿行
受賞・評価
受賞
1982年度毎日映画コンクール日本映画優秀賞、音楽賞(林光、江定仙)、録音賞(橋本文雄、呂慶昌)
1982年 日本映画テレビプロデューサー協会賞 徳間康快 製作
1983年 第2回藤本賞:徳間康快 製作
1983年モントリオール世界映画祭グランプリ
1983年日本アカデミー賞優秀作品賞
1983年金鶏奨特別賞
1983年文化部優秀作品賞
評価等
中国では制作段階から大きく評判になり、ロケ先の各地方では大歓迎を受けた[2]。
中国側の脚本家は陳祖徳とも親しいなど囲碁に理解が深かったが、日本側スタッフは囲碁に詳しくないためか、対局の場面に迫力がないとの批判もある[3]。
日本国内では作品内容に関して右翼が反発し、上映を妨害する事件が発生した。
ノベライゼーション
映画制作と並行してノベライゼーション『未完の対局』が南里征典によって書かれ、公開と同時に刊行された。

脚注
^ 松島利行『囲碁と映画の文化論(21)』(「碁ワールド」誌2005年1月号)
^ 南里征典『未完の対局』あとがきにかえて
^ 松島利行『囲碁と映画の文化論(18)』(「碁ワールド」誌2004年12月号)
参考文献
南里征典『未完の対局』徳間書店 1982年
洪洲『白と黒に遊ぶ』田中廣悦訳 棋苑図書 2007年
佐藤純彌、聞き手:野村正昭 + 増當竜也『映画監督 佐藤純彌 映画 (シネマ) よ憤怒の河を渉れ』DU BOOKS(原著2018年11月23日)。ISBN 978-4866470764。
関連項目
山梨交通7形電車 - 江ノ島電鉄へ譲渡後の同車が車体塗装を変更し、本作の撮影で使用された。

以下Wikipediaから引用