三四郎

綴方教室の三四郎のレビュー・感想・評価

綴方教室(1938年製作の映画)
3.0
冒頭、チマチョゴリの娘さんが2人映っている。朝鮮人を映すことに当時どのような意味があったのだろうか。正子の住む町内に朝鮮人がいるという描写で、この作品が貧しい下層階級の中でもどの程度の極貧の娘の話であるか、観客に暗示しているのかしら。非常に興味深い。日本映画における朝鮮人や中国人の描かれ方を時代ごとに比較したいものだ。

見たもの聞いたもの、ありのままを書くという教えは子供への「教育」(文章を書く・心を豊かにする)としては良いのかもしれないが…、自然主義文学が嫌いな私には、あまり響いてこなかった。
「子供ゆえにありのままを綴ってもいいものか?」と色んな意味で考えさせられた。
「子供ゆえに(分別がない)」と許されるのか、「子供ゆえに(世の中を知らない純粋な目)」と見過ごせないのか。
この作品でもしっかりと描かれているが、ありのままを書くと、周囲の誰かしら、あるいはおのれ自身が迷惑を被ることになる。
先生も『赤い鳥』に載せて、正子の周りで問題が起こることくらいわかってもいいはずだ。実名で「ケチ」と書かれて、たとえ事実だとしても、嫌な気持ちにならない人はいないだろう。まあそれを問題にするのも大人気ないということはある。その家の子供が泣いて学校から帰って来たのは、当然の結果だろう。
文章を書くこと、教育の理想に燃えること、実に難しい。
三四郎

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