genarowlands

私が棄てた女のgenarowlandsのレビュー・感想・評価

私が棄てた女(1969年製作の映画)
3.6
遠藤周作の原作。野心で結婚し、学生時代に棄てた彼女とのどろどろ不倫ドラマだと途中まで思っていたが、それぞれの成長物語であり、格差社会を批判していて、奥深かった。日本が棄ててきたことが問われていた。しかし、遠藤周作の信仰を理解していないのと、河原崎長一郎の平坦な演技で、後半の展開についていけなかった。とくに残り10分。

吉岡(河原崎長一郎)は、高度成長期に学生運動をしていたが、自動車販売会社の営業マンとして大企業におもねる矛盾と、社長の姪(浅丘ルリ子)を野心なく愛したのに、純朴な女工(小林トシ江)を利用し切り捨てた過去の罪悪感に囚われ、自信を失っていく。

昭和のこの時代の作品を振り返って観ると、あの時代が切り捨ててきたものが見えてくる。それは今に繋がっている。

おそらく、
過去を語ろうとしない吉岡は広島の貧しい寒村の出身。原爆の被害を直接受けてはいないが、地獄絵を繰り返し聞かされて育った。アルバイトしながらの苦学生だった吉岡は、社会の矛盾に怒り、大隈講堂に立てこもる。学生運動の敗北感を抱えながら、高度成長期に伸びた自動車産業に就職する。

まだ一部のブルジョアしか自動車を持っていなかった時代、
「自動車を持つ者とそれを修理する者の2層に分かれる」と格差の時代を予言している。

原作では、さらにハンセン病についても語られているようで、映画では都会で差別される地方出身の女工や夜の商売、貧困の中にいる者たちの声が生々しい。

ミツは泥沼の蓮のようでもあり、純朴で失われた日本人の心の姿でもあった。おそらく原作ではイエス的な位置づけなのではないか。

お嬢様の浅丘ルリ子は肝が座っていて、ミツと直接対決するが、夫がなぜミツに執着するのかを次第に理解していく。

2時間で収めるのが難しい厚みのある話だった。

河原崎長一郎が演じるとメリハリがなく、吉岡の葛藤が浮き上がってこなかった。当初は小林旭の予定だったそう。

原作の方がおもしろそう。近年リメイクされている熊井啓の『愛する』は評価が高くない。この厚みを描くのは難しいと思う。また、ヴァンサン・ペレーズの『天使の肌』も遠藤周作の原作からだろうと言われている。

日本が切り捨ててきたもの、それがミツだった。
genarowlands

genarowlands