イスケ

ビフォア・サンライズ 恋人までの距離のイスケのネタバレレビュー・内容・結末

4.3

このレビューはネタバレを含みます

こういうやりとりの恋愛をしたいがために、教養を身につけたくなるw

そして、恋愛ものとして美しいだけでなく、哲学性に富んだ素晴らしい作品です。


セリーヌがひとりになった後に見せた微笑み。
これは、自らを無神論者と語る彼女の死生観との関係が深いような気がした。

彼女は死を恐れているところが強く、これは無神論者には死後の世界が無いからだと思うのです。

「精神も体も無くなってしまったら、生きていた意味は何なの?」

僕も子供の頃は死ぬことが怖くて、世代的にノストラダムスに怯えて暮らしていたので、何もなくなることへの恐怖を理解できます。



物語のラストで、二人が訪れた場所が映し出されていく。

それらの場所は二人にとっては、人生においても特別な場所になり得る。
でも、ある人にとってのお墓は悲しみの象徴かもしれないし、ある人にとっての公園はただ素通りするだけの場所でもあるんですよね。

「環境の方が人間より強いの」

「あなた方も星屑なのよ」

こういった言葉の数々は、人間の儚さを表すものとして、作品内で一貫していました。

土地から土地、時間から時間、人から人へ。
人間は流れ者でしかなく、その「瞬間」にどれだけ輝きを放ち、意味を見い出せるか。それが人生の本質なんだろうなと。



「素晴らしい夜の結末をそんな風にしないで」

夜の公園でキスの先まで進みそうになった時に、理性的なセリーヌはジェシーをそう言っていったん制した。
列車を降りる時には「寝ても良いと思っていた」という彼女が考えを翻したのは、この瞬間が輝いていたからに他ならないでしょう。大切にしたかった。おそらく人生で一番に。

つまり、セリーヌがひとりになった列車で微笑んだのは、「輝く今」を生きていることを人生で初めて実感し、死への恐怖が和らいだからなのだと思いました。

二人の行く末がどうなるかという事ももちろん大切ではあるけど、「確かに二人で人生最高の一日を過ごした」という瞬間が刻まれたことが本当に尊いこと。



こう考えてみると、列車そのものが「終わり(終点)があるもの」のメタファーだったんだろうな。

途中下車して、特別な時間を刻む。
大切なのは「終わりに向かって自動的に進む」ことではなくて、カーネギーよろしく「今この瞬間を生きる」こと。
そして、タイムリミットは瞬間を豊かにするためのもの。

決して「終わることが目的」になってはいけないと改めて感じました。


電話のおままごとが可愛かったし、ああいう伝え方良いなあと思った。
今の自分がやったらキモいからやらんけど、もう少し若ければ映画知らなそうな女性に仕掛けてたのはほぼ確。
イスケ

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