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脳内ニューヨークのeyeのレビュー・感想・評価

脳内ニューヨーク(2008年製作の映画)
4.0
"脳内ニューヨーク"(2008)

名作中の名作

21世紀の偉大な映画100選
第20位にランクインした作品

タイムズ誌が評した

"奇跡の映画"

というのも個人的にかなり納得してる

一方で興行収入的には約400万ドル
日本円にして約4億4千万と振るわなかった

ただ将来に残っていくであろう

"芸術映画"

としては成功した

と個人的に思っている

この映画は喪失感と爽快感が合わさる
妙な感覚を毎回感じる

何度観ても素晴らしい

この作品ではないけど
Philip Seymour Hoffman主演
"カポーティ"(2005)での怪演も凄まじい

話は戻り

この作品の素晴らしさは
劇作家ケイデンの人生が表面的に

負→勝
大金→名誉

を手に入れることが素晴らしい

ということじゃない

ニューヨークという街の"イメージ"

劇作家としてケイデンが思い描く

"恋愛・命の誕生・死・家族"

それらを一つ一つ具体的に抽象的な部分のイメージを具現化しようとしたことにある

何よりケイデンはとても孤独ながらも
家族・人を愛することを忘れない

理想と現実の融合とも言える

SFの父であるJules Gabriel Verneが
かつて『月世界旅行』(1865)で残した言葉

『人が想像できることは必ず実現できる』

ケイデンが想像することは
実現する可能性を秘めていた

一方で

ケイデンの恋人ヘイゼルは
カフカの"審判"を読んでいる

"審判"(掟の門)を簡略的に書くと

門の中に入りたい田舎者が

何年かかっても
何十年待っても

中には入れない

門番のご機嫌取りをしてみるが
やはり一向に中に入れない

自分の命が終わりを迎える頃に
改めて門の中に入るため

門番に問う

返ってきた答えは

門はあんたのためだけに開かれてる

という内容

ケイデンのニューヨーク作りは
カフカの"審判"へのオマージュ

人生の答えが出ない哲学的な問答を下書きとしていて何年かかっても一向に完成しない

月日は17年の歳月を迎えている

作品に自身の苦難・困難の経験が
様々投影される

劇はフィクションのはずが
現実との境目をなくしていく

自分の身に起きる出来事を脚本に加え
自分さえも別人に演じさせる

鏡の中の世界

自分の人生を『舞台』と見立て
成功するように演出する

時は刻一刻と進んで変化し続ける

関わる俳優もみんな歳を取る
そして肉体も衰える

もがき苦しむこともその中に含まれる

現実は幻想の中を漂い
現実と舞台は融合していく

人生が辿り着くところを理解して
最終的に死を悟っていく

>誰一人エキストラじゃない
>それぞれの主役だ

>誰もわたしの悲劇に耳を貸さないのは
>みんなも悲劇のなかにいるから

孤独感・自己嫌悪は終始漂う

だけど失っていくことだけが人生ではない

1人1人 彼の人生から退場していく中で

"別れも人生の中の一つ"

ということも教えてくれる

心から出る言葉の数々には
言葉の質量を感じさせ
重味を感じることができる

他人を通して得られる日常や現実
そこに広がる独特の感覚

自身の物語に何が必要かを考え
自分と向き合っていく

舞台は自身の死を持ってして
初めて完成する

素晴らしいエンディングを迎える

何より若くして亡くなった
ケイデン aka Philip Seymour Hoffmanもまたニューヨークで日常を過ごした

薬物に対する依存症と向き合いながらも
最終的には彼もまた死を迎えることになる

まるで映画が完結するような結末

喜びや悲しみ
終わりの見えない苦悩
人間関係のこじれ
幾多の後悔

平坦な人生は意外と奇想天外で
小さな変化をし続けている

幻→現実世界を追い求めた果てに
答えを見つけることだってある
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