Kumonohate

背広の忍者のKumonohateのレビュー・感想・評価

背広の忍者(1963年製作の映画)
4.0
少年時代を過ごした60年代から30歳代に突入した90年代初頭にかけて、ジャーナリズムは、54年〜73年の高度経済成長期を必ずしも華やかな時代としてだけ取り上げてはいなかった。個人的な印象としては、むしろ未曾有の経済発展の裏に隠された陰の部分(環境問題、労働問題、一極集中、貧困問題、伝統文化の破壊など)にスポットを当て、多くの時間や紙面を割いていたように思う。だから、巨大産業や企業は必ずしもクリーンな存在ではないというイメージが、私の頭の中には植え付けられた。ところが、バブルが崩壊してしばらく経った頃から、高度経済成長期に当てられるスポットは、「日本が元気だった時代」「日本製品が世界のトップに躍り出た時代」「多くの英雄が頑張って日本を作りあげていった時代」といった、陽の側面ばかりが目立つようになった。それは、バブル崩壊後の意気消沈した日本がパワーや誇りを維持してゆくためには、必然的な潮流だったのかもしれない。

さて、60年代初期のテレビ受像器業界を舞台にした産業スパイモノである本作は、そんな、高度経済成長がグレーなものとして報道されていた昔を思い出させてくれる。特に、本作の主人公たちが完全に影に追いやられているワケではなく、光に寄生して生きている “ちょい影” ぐらいの存在であり、そうした “ちょい影” を内包した巨大産業の舞台裏が描かれているため、「大企業とはダーティである」というかつて植え付けられたイメージが大いに喚起される。だから、ドラマの展開としては多少粗かったり強引だったりする部分はあるものの、“日本が輝いていた時代” という高度成長経済期の解釈に違和感を感じる者として溜飲が下がる。

そして、自動車に搭載可能な4インチ超小型テレビの開発を巡るサスペンスという本作の主題は、日本製家電製品が世界のトップに躍り出ようとしていた当時、「そんな驚きの製品を作れるのは日本しかなく」「それを巡る産業スパイ合戦は世界一熾烈に違いない」という強いリアリティーを持っていたことだろう。翻って現在、自分が手元で映像を見るときのスマホはApple製品、しかも、サイズは4インチを大きく下回る。溜飲を下げる一方で、かつての日本製品神話も今や夢物語になってしまったなあ、という一抹の淋しさを感じさせられる作品でもある。
Kumonohate

Kumonohate