埋もれた水俣患者を訪ね歩き、申請を勧め、またチッソと直接交渉の末、年金・医療費を含む協定書を締結するなど長く水俣病闘争の指導者を務めた、川本輝夫。
その後市議会議員となって活動を続けるが、
1999年2月に急逝、彼の告別式からこの映画は始まる。彼の死は「ニューヨーク・タイムズ」にも報じられ、水俣病が世界的に認知されていることが伺える。
土本監督作品を中心とする彼の映像を編集して追悼集会で上映された「私家版」ビデオ。特に印象的なのは、チッソとの直交渉の様子が収められた『水俣一揆』(1973)。チッソの島田社長の前に座り込んで投げかける言葉「あなたの趣味はなんですか。盆栽とかですか(中略)読書なら、(撮影時に水俣病で亡くなった仲間の2人の名を出し)〇〇さんたちの死と重ならないですか」などに、川本氏の熱い人間性が顕著なシーンである。
1980年代〜1990年代にかけて水俣市は人口が減少し過疎化、チッソ工場も廃業危機を迎えており、水俣湾でのヘドロの埋め立て、慰霊式、不知火海の側に八十八箇所巡りの一番札所として、新潟から贈られた地蔵を建てる川本氏の様子、生涯最後の議会での肉声までをおさめた彼の半生の映像の集積である。