本作を観たのは、02年、アテネフランセ文化センターで、鈴木一誌「画面の誕生」出版記念公開講座での上映作品だったからで、山根貞男=鈴木氏の対談、「映画の現在と映画批評の新たな可能性をめぐって」があった…
>>続きを読む埋もれた水俣患者を訪ね歩き、申請を勧め、またチッソと直接交渉の末、年金・医療費を含む協定書を締結するなど長く水俣病闘争の指導者を務めた、川本輝夫。
その後市議会議員となって活動を続けるが、
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かつて未認定患者であり同じような人々に申請を勧め、チッソとの直接交渉の先頭に立った氏の回想録。過去作かの抜粋により70〜90年代までの氏の活動と達成が示されるが、晩年に送られた土本宛の年賀状に書かれ…
>>続きを読むNo.3394
『情熱を維持し続けることの難しさとその代償』
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水俣病を追い続けた土本典昭監督。
だが、その水俣病に関する作品は、2本しかレンタルが…
その半生が闘いそのものになってしまった事をご自身ではどう思っていたのだろうか。「私たちは闘うために生まれて来たわけではない」と述べた患者がいたと記憶しているが、川本氏も本来はその様に考えていたのだろ…
>>続きを読むキノで『MINAMATA』公開に合わせて土本典昭監督の別の作品を上映していて、興味を抱いたので借りてみた。
川本さんの存在は本作で初めて知った。何度も訴えないと水俣病患者として認められないなんて、…
ほんとに井戸を掘ったわけではない。先陣をきって闘ったという意味。
水俣病患者の発掘とその補償体系を戦い取った川本輝夫さんの記録。
チッソ本社で「殺人者に被害者がお願いしてるんだ!」という言葉が刺さっ…
水俣病被害者のために動いた支援者は、映画の中に生き続ける。
チッソ社長に詰め寄り、読経し、ハーモニカを吹く・・・
「水俣「病」ちゅうからみんな恥ずかしがるわけなんですが、実をいうとこれは「傷害事…