ロッセリーニ戦争3部作の2作目。
『無防備都市』(1945)『ドイツ零年』(1948)と共に、ロッセリーニ監督の代表作である戦争3部作のの一翼を担う作品で、現実社会を直視してスクリーンに表現しようとしたネオレアリズモ映画の傑作として知られている作品。
ただし、現実をそのまま描いているという訳でもなく、ロッセリーニは6つのエピソードをそれぞれ異なる脚本家(フェデリコ・フェリーニ他)に担当させて映画を作り上げている。
現実社会を描きながらも、一つ一つのエピソードには強いドラマ性が感じられるのが興味深い。
それぞれのエピソード同士は特に相互に連関している訳ではないのだが、それまでイタリアを覆っていたファシズムや社会の腐敗を打ち破ろうとしていたロッセリーニの思いが強烈に伝わってくる映画で、一度は見ておくべき作品には違いないだろう。
◾️各エピソード
第一話:シチリア編
やや不可解なのだが、要するに民間人が味方であっても軍隊あるいはパルチザンに利用され死んでいく(殺されていく)ということだろうか。
第二話:ナポリ編
MP(アメリカ兵)と両親を亡くした子どもとのやりとりで哀感がある。それを感じ取れた兵も大したものだ。
第三話:ローマ編
ローマ解放のアメリカ兵を歓迎する模様とその半年後。フレッドというアメリカ兵がその両時期に出会った女性(フランチェスカ)とのやりとり。半年後には娼婦となっていたという哀切な悲話である。
第四話:フィレンツェ編
市街戦の模様。愛する人や家族に会いたいという思いは分かるが、その結果としてパルチザンに犠牲者が出る。
第五話:修道院編
カトリックとプロテスタントとユダヤ教徒という、三者の相克。といってもこの僧院はカトリックなのだが。人々の頑なな考え方というか、それは宗教者として当然のことなのかもしれないが、やりきれない。
第六話: ポー河流域編
ドイツ軍とパルチザン・アメリカ兵・イギリス兵との間の戦闘。力の差によりパルチザンたちは降伏。翌日、兵は捕虜として遇されるが、パルチザンは直ちに殺されていく。国際法に則って今さらながらの戦争の残虐さを描く。