このレビューはネタバレを含みます
本作の悪役は犯罪者・熊虎鬼五郎とそのコピー。十数人のコピーが生み出されるが、普通に考えれば敵のバリエーションを描けないので勿体ない。“ホクロ”と呼ばれる鬼五郎のコピーを見れば分かるが、同一人物のコピーを題材にしたのは、人類のメタファーだから。
ねじ巻き都市の住民はのび太らより先進的な視座を持つ者と言葉を持たない者がおり、未来の子供たちのメタファー。
住民が物語に関わらないことや、中盤で鬼五郎と一時協力するのも、このラインで考えれば読み解ける。
Fが唯一ラストまでの構想を持っていた作品であるため、よくも悪くも過去作以上に“読み解き”ができてしまう。
のび太らに干渉しない超越存在である種まく者はFだし、スタッフへのメモを考えればのび太らはスタッフとなる。
前作『銀河超特急』のラストは“ドラえもんという作品の終わり”のような美しさがあったが、本作のラストシーンは子供たちに未来を託した藤子・F・不二雄、あるいは『ドラえもん』が去る姿が描かれる。
テーマを読めて“しまう”ので好きではあるが、ある種、作品としては評価不能。
ストーリーも移動シーンが多いし、敵は小悪党。のび太は二作連続で射的で活躍する。食事シーンはないし、冒険やレジャーのパートもピース的で楽しさがない。
F本人が描いた(下絵)パートでも、説明もなく登場するパカポコや、『創世日記』でも言及された生命を生み出すということ、そしてそれが繁殖ではなくクローンで増やすことなどは、どう読み取っていいのか分かりかねる。