ろく的アジア国際映画祭⑦=中国・香港=(ラストです!)
中国は奥が深い。まず国土は広い。日本は何個分あるんだろうか。当然そこに住んでいる人も圧倒的に多い(良い奴も悪い奴も日本の10倍はいるはずだ)。そして歴史も古い。アメリカなんかが束になってもかなわないほどの深い歴史がある。
そう、中国は「深くそして広い」んだ。
この映画もそうだ。まず、誰について語る/見るかでひと悶着である。美しきレスリーチャンか。それともサリエリ的な立場のチャン・フォイイーか。さらには美しき愛を燃やすコン・リーか。またそれらの「どの関係」で語るかも悩ましい。さらには歴史的な視点で、文化とは、国家とは、あるいは伝統とはということも語ることが出来る。いやいや美術で語ることもできるだろう。あの舞台の美しさと猥雑さ。そう、この映画はどれで語ってもいいんだ(そしてどれで語っても十分でない)。
深い。そして広い。
まるで中国という国家と対峙しているかのようである。そしてその中で僕らはほんの「少しだけ」を語ることが出来る。それらは実はあまりにも不十分なんだけどね。僕自身、以前見たときはレスリーチャンとコン・イーの不思議な(それはほんとに不思議なんだ)関係ばかりを見ていたけど、今回見たときは中国という国の変遷とその中で翻弄される人間たちというテーマで見てしまった(それは当時、文化大革命についてあまりに無知だったからこそ気付かなかったんだと思う)。で、そこだけを抽出するなら。
この映画には怒りがある。監督であるチェン・カイコ―の怒りでもあるだろう。政治という名のもとに文化を蹂躙しつくしてしまったことへの。文化に殉ずる監督の怒りは想像にかたくない。僕はあの最後の10分でそんなことばかり考えてしまった。
でもこの映画はそれだけではないんだ。ほんとにプリズムのように見る場所によって違った輝きを見せる。そしてその輝きを見るたびに新たな発見があるのではないかと、ふとひとりごちな気分である。
また10年後見たいと思い、その時は自分は何を思うのだろうと感じた。ひょっとしたらグォ・ヨウ演じる袁四爺に想いを馳せてしまうかもしれない。それもまた一興である。
※まだ見てない人いたらほんと勿体ないのでぜひ見るべきだというステマみたいなレビューを書いてしまった。でもそんな気持ちは満載だ。久々に見れて、また見なくてはという思いに囚われる。
※もう最後は泣かないで誰が泣くか。最後のシーンだけでもいろんな考察があるだろうけどそれはしない。ただコン・リーに僕は思いを馳せる。
※これで私的アジア国際映画祭は終了。どの作品もその国と切っても切り離せないというように感じた。国とは意外と僕らを形作る礎になっているのかもしれない。良くも悪くも。