三四郎

花は偽らずの三四郎のレビュー・感想・評価

花は偽らず(1941年製作の映画)
4.7
『暖流』と同じように走り去ってゆくお嬢さんの後ろ姿…。高嶺の花は高嶺の花すぎて、皆、分不相応だと諦めてしまうのか。

大庭秀雄監督はこの映画がヒットしている時に娘が生まれたそうで、この映画のヒットにあやかって娘の名前をヒロイン「かなこ」にしたらしい。そして松竹のスタッフの中では「おい、聞いたか?大庭監督、娘の名前を『かなこ』にするらしいぞ!かなで読んだら 大馬鹿な子 だぞ!」と喜んでいる人たちがいたそうだ笑 しかし、いくらヒットしたとは言え、この可哀想なヒロインの名前を娘につけるとは…驚きだ。

惹かれあっているのに結ばれない。やはり松竹大船調メロドラマは科白と演出が命!ロマンチックな科白が実に自然でいい。
見合い相手のことを「残念ながら綺麗と言わないわけにはいきませんでして」と言う。この複雑な心中を見事に表す言葉、回りくどさ、なかなか思いつかない。

この映画で一番泣かせる名場面はポートレートのくだりだ。佐分利信が学生時代から大切に栞として使っていた高峰三枝子の写真、裏には「僕の嬢(いと)はん」と書いてある。佐分利がお嫁さんをもらうと知って、本から自分のポートレートを抜き取り、「あたしこれもろうて行く。(略)いけないやないの、お嫁さんもらうのにこんな写真持ってちゃぁ」と立ち去ろうとする。そこで佐分利が「お嬢さん!」と何か言おうとするが、「アホやなぁ、城太郎さんも…こんなもん持って…」と写真をちぎる。自分の写真を自分の手でちぎるなんて…。ほんとは、城太郎との唯一の想い出に持っておこうと思ったんだろうなぁ。
この写真を破るという強調・誇張的な表現・演出、これぞメロドラマ。可哀想で可哀想で、紅涙を絞らずにはいられない、これがメロドラマだ。

それにしても高峰三枝子が美しく可憐な作品だったなぁ。
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