《侍の映画》、Vol.9。『たそがれ清兵衛』。
山田洋次監督。
歴史的に有名な話でもなく、高尚な戦国武将の逸話でもない。
この武士の中でも底辺の生活をする野心もない無欲な平侍の平穏な日常から生まれる非日常を描く。
江戸時代末期の美作藩。美作藩は今の岡山県あたり。
もうすぐ明治維新が起きそうな、何だか江戸時代がざわざわしてきた頃の田舎の場末の石高50石の平侍。
石高、1石が米180リットル?
未だにこの石高の規模感と収入感がわからない。
妻に先立たれ、とにかく50石では、娘2人と痴呆が進み出した母を養っていくのは難しいらしい。
生活もみすぼらしく、噂が立つほど。
それでもただただ生きる日常、日々成長していく娘に喜びを感じる“たそがれ清兵衛”。
そこに現れる幼馴染、宮沢りえ。
もうこの輝き。この儚く、でも確実に、強烈に咲く一輪の花のごとくの宮沢りえ。
“たそがれ清兵衛”の人生に色を与え、生きる活力を与えるこの女性。美し過ぎる。
こんな女性が「色々あって、家にいるのも窮屈で来てしまいました」と。そんなの、もう、、、ドキドキ止まらないわ。
お茶目なのに、奥ゆかしい。
オロオロしたかと思えば、芯は強い。
そして、一緒に苦楽を共にし、親身に支える。
でも、どこかで自分も支えを求めてる。
献身的な彼女と、家族の幸せを願う清兵衛、この2人の奥手な距離感のやりとりに悶える。
その彼女を守らんとした行為が噂が噂を呼び、彼の人生に波風を立て始める。
時代も刻一刻と変わり始める中、彼の平穏な日常も何かが変わり始める。
この変化に戸惑いながら、真面目にただひたすらその日を一生懸命暮らす場末の武士。
その普遍的な侍にあれよあれよと起きる波風。
それを何とか乗り越えようとするのも、何とか事なきを得ようとするのも、命を投げ打つのも、その平穏な日常を守るため。
“たそがれ清兵衛”の生き様。
まさにサラリーマンの意地、夢、代弁とも言える。