映画漬廃人伊波興一

アルファヴィルの映画漬廃人伊波興一のレビュー・感想・評価

アルファヴィル(1965年製作の映画)
4.4
追悼アンナ・カリーナ③
今の大国家マスク騒動からさかのぼって観れば何と面白い事か
ジャン=リュック・ゴダール『アルファヴィル』


(元気です。ありがとう。どういたしまして)
全てのメンタリティがここに集約され、why?など無い事が当たり前の世界に住んでいたなら、人々はどうなるのか?

まず自分達が何かによって作為で造られた大いなる流れに浸っているという自覚がなくなります。
ありもしない幸福を探し尽くした挙句、この世は概して大して面白くない、などと不貞腐れて部屋の隅にうずくまる青臭い自我ですら最初から持っていないからです。

そんな環境で寸時揺るがせに出来ぬ有事など起こり得る筈もない。

よしんば明日に死が待ち構えていたとしても、皆が皆、今の生活に自足出来ます。

ですが、
トーキョーラマ 東京
ヌヴェバヨーク 紐育
ペキンラマ   北京

こんな既知感ある言葉をエディ・コンスタンティーヌ演じるレミー・コーションに触発されたアンナ・カリーナのように、今のこの想いが、かつて(ポエム)という概念で表せられる、と気づいてしまえば、人々は言葉を自分で見つけなければ死滅してしまう。と、悟ります。
それはウィルスのように一瞬で拡散し、ゾンビが生きた人間に群がるかの如く、ある一点を渇望していく。
手塚治虫『火の鳥 未来編』のハレルヤにも似た、アルファ60なる人工知能がアルファヴィルという街のちょっとした変化にも、人々の膨張にも、住民の細胞の生死にさえ、深く関わっている、という、健全(!)な全体主義を冷ややかに傍観する以前に、マスクが無ければ死んでしまう、と盲信する現代の大国家の住民達のヒステリックな様相が被りまくり、冷笑を軽々と超えて爆笑するしかありませんでした。