アルファヴィルの作品情報・感想・評価

「アルファヴィル」に投稿された感想・評価

e抜け

e抜けの感想・評価

5.0
機械および人工知能がもたらす合理主義を予見した批判。人間性とは? 未来の私たちが(もしやゴダール自身が)人間性を失わないための救済として、あるいは人工知能に対する挑戦状(「私の映画を理解できるか?」)として、映画を撮り続けているとしたら、誰が彼の難解さを非難することができようか
諒

諒の感想・評価

1.0
コンピューターのアルファ60に支配され感情や思想などが一切排除された都市アルファヴィル。
そこに探偵のレミーが潜入。
ブラウン教授を救出するのが目的だが、ブラウン教授こそがアルファ60の開発者であった。

面白さが分からなかった。
もっと分かりやすかったら良かったなぁ。
設定は面白い。
NagiMorita

NagiMoritaの感想・評価

4.0
なるほどなるほど。
1964年の作品ですが、今現在実現しつつある管理社会と合理的思考社会を体現したヌーヴェルバーグ作品。
1980年代の銀河系都市、α都市(アルファヴィル)[※といっても笑えるのはCGを一切使わず当時のパリを未来都市だと言い切ってしまうこと笑]で繰り広げられる外国探偵とα都市の人工知能α60との戦い。涙や愛や意識など思想たるものを全て排除し、記憶と演算による完全合理社会で生きる市民は番号を与えられ(ふと思い出すのはマイナンバー制度…)、α60によって"管理"されている。愛、意識などの言葉を"学校で習っていない言葉だわ"と言う若い女。徹底した思想統制。まるでナチの全体主義。しかしその中で、レミーコーションはナスターシャに愛を自覚させた。

うる覚えではあるが
"複雑で奥深い人間の精神よりも、誰でも操作することのできる機械に託すのか"みたいな言葉が響いた。
h

hの感想・評価

4.0
あらすじを見てなかったから、
ゴダールの中で結構上位で理解が難しい作品だった。

途中で本当に意味がわからなかったから、止めて途中からあらすじを読んだらましにはなった。

こんなに前から時代を予想してるなんて本当に凄い。
そして近未来感のある映像をパリで撮影したというのもまた凄い。

このレビューはネタバレを含みます

 
 
 
自宅(CS放送)にて鑑賞。仏・伊合作。久々の鑑賞となるJ-L.ゴダールは全篇モノクロで、半世紀以上(正確には53年!)前の一本。ハードボイルやSFへのオマージュに満ち溢れており、仰々しいBGMが全篇に亘り奏でられている。判り易いストレートな物語は近未来だった'84年の設定であるが、画面内の街や登場する拳銃等は、製作された'65年のパリや当時の物であり、あくまでSFの態のハードボイルド。その意味でCGIで飾られた昨今の画面を見慣れた層や複雑なストーリーに馴れ親しんだ向きには、物足りなく映るかもしれない。65/100点。

・地球から9,000km離れた星雲都市アルファヴィル。「コインをどうぞ」と書かれた投入口にコインを入れると、「ありがとう」と書かれたプラスチック板を吐き出すだけの販売機。公開処刑はプールで行われ、その罪は妻が死んで泣いたから等々、ドライで異常なディストピアの日常が描かれており、これはG.オーウェル原作の『1984('84)』に似た管理社会を彷彿させる。但し本作でファシズムを掌り、絶対権力を握る指導者はコンピューターである。

・終始、しゃくりあげる様な嗄れた妙な音声の“アルファ60”は云う迄もなく『2001年宇宙の旅('68)』に登場する“HAL9000”の原型であろう。何かと饒舌気味な“アルファ60”の「時は私が作っている」と云う意味の科白は、J.L.ボルヘスが'46年に記したエッセイ『新時間否認論』の一節からの捩りであろう。

・単語だけではあるが、劇中内には“トーキョーラマ”や“ヌェヴァヨーク”、“ペキンラマ”と云った都市名が登場する。A.タミロフ演じる“アンリ・ディクソン”にE.コンスタンティーヌの“レミー・コーション”が読み聴かすのは、P.エリュアールによる'26年の詩篇『苦悩の首都』の一節であり、これは本作の伏線であると思われる。

・監督はP.チェイニー原作の『レミー・コーション/毒の影('53)』から始まるシリーズより、E.コンスタンティーヌの当たり役となった“レミー・コーション”の役名と演者をその儘、拝借した。H.ヴェルノン演じる“レオナール・ノスフェラトゥ・フォン・ブラウン”教授の“レオナール・ノスフェラトゥ”は『吸血鬼ノスフェラトゥ('22)』へのオマージュであり、監督は当初、R.バルトにこの役を想定していた。

・ノンクレジットであるJ-A.フィエスキの“ヘッケル”教授と同じくノンクレジットのJ-L.コモリの“ジャッケル”教授は、'40年代、P.テリーによる米国のTVアニメ『ヘッケルとジャッケル』に由来する。これは我国でもTV放映され、牟田悌三による無表情なナレーションが人気を博した黒い二羽組のカササギによるアニメで、東芝のCMキャラクターにも起用された。

・本篇の半分過ぎ辺り、『大人は判ってくれない('58)』や『二十歳の恋('62)』、『中国女('67)』、『逃げ去る恋('78)』等で知られるヌーヴェルヴァーグを代表する俳優J-P.レオが“レミー・コーション”のE.コンスタンティーヌと“ナターシャ・フォン・ブラウン”のA.カリーナが居る安ホテル“赤い星”の朝食を提供するボーイ役としてカメオ出演しているが、彼はC.L.ビッチやH.カルーギン、J-P.サヴィニャックらと共にノンクレジットで助監督も務めた。

・評論家でプロデューサーのS.シュナイダーの「死ぬ迄に観た方が良い1001本 "1001 Movies You Must See Before You Die"」に選出されている。亦、パキスタンにおいて、'70年7月10日附けで一切の上映禁止と云う憂き目に遭った。

・鑑賞日:2018年9月18日

 
Machy

Machyの感想・評価

3.7
映画に慣れていない方が観ると、映画アレルギーを起こすかもしれません。フランス映画を退屈、意味不明と思ってしまう方も然り。モノクロですしね。
ぼんやり観ていましたが、ジャン=ピエール・レオに気づけたのは良かったです。
アンナ・カリーナやっぱりいいですね。
ジーナ

ジーナの感想・評価

1.0
難解・・・というより、意味不明で熟睡。
30分ほど観た段階で最後まで見る気力を失ってしまいました。
難しい単語も多く、成立しない会話が延々と続くし、退屈な講義を延々と聞かされるシーンは拷問でした。

2001年宇宙の旅やブレードランナーを彷彿させる設定もあり、制作年を考えるとかなり時代を先取りしてるのは素直に凄い。
演出面に関しても斬新な試みがいくつか見られますが、少し外している気がします。
テンポも悪いですし。

ただ、登場する女性陣が驚くほどに美人揃いで、たまに目が覚めて彼女らが映ると目の保養にはバッチシでした。

2001年宇宙の旅は大好きですし、全く眠らずに観れるんだけど、本作は寝落ちてしまった。
nknskoki

nknskokiの感想・評価

4.5
人工知能α60によって管理される、感情や思想の自由などが排除された都市アルファヴィル

「ブレードランナー」「2001年宇宙の旅」の元となったと言われるゴダールのSF映画
大通りのネオンや車のライトが交錯するモノクロシーンはとても美しい

「150光年前の社会には小説家や音楽家がいたはずだがアルファヴィルにはまったくいない」

愛、意識、涙、芸術などα60が演算不可能な事象は全て排除されてしまっている
「1984」と設定が似ているが究極の管理社会を作ろうとした時、不必要なものはもちろん淘汰されていく
当たり前だがその方が管理がしやすいから
ましてやこの映画のように管理者がAIならなおさらである

人生には豊かさが必要である
カップラーメンだけ食べても生きていけるが、陳建一の中華料理を食べたいよな?
恋愛なんかしなくても生きていけるが、じゃあ愛は不必要なのか?
同様に音楽も小説も
みんなが必死に観てるこの映画だって別に観なくても生きていけるし、観なくても正直将来何も困らないと思う
じゃあ、みんなは何で映画を観てるの?

人生仮に60年として60リットルの薄い砂糖水のような人生より濃厚なフカヒレスープのように密度の濃い人生の方が絶対幸せに決まっている
ただ寝て起きて飯食ってスマホゲームして終わるような一日の使い方をしてたらもちろん薄い薄い塩水人生になってしまう

ま、アンナカリーナと結婚させてくれたら俺の人生は一瞬で一段と濃いものになるんだが
RitaD

RitaDの感想・評価

3.5
元気です
ありがとう
どうぞ

XX化された(未来)世界
を映すのって難しいね。
それ技術的にどーなのとか、それでいて何でそこが今と同じなのとか、に目がいってしまいがち。斯様な邪心(?)を差し置いて目を瞑っても作品に引き込まれるとしたら、その世界観の表現が統一されて一貫しているか、なのかなと思いながら。

元気です
ありがt(ry
国民の思考が全て支配されるという点で、ジョージオーウェルの[1984]というSF小説と類似しており、懐かしさを感じた 視聴後にDVDの解説を読んだら本作のは舞台はまさかの1984年だとのこと
ゴダールはジョージオーウェルの[1984]にインスピレーションを受けたらしいです
SFと政治を組み合わせた複雑な設定ながらも、結局は奪われた愛という概念を取り戻すというロマンチックな物語だった

クーリンチェを彷彿とさせる闇と光の演出は素晴らしいのだけど、明るい大学の図書館で見たのは本当に失敗だった
本作の演出はクーリンチェのそれとは意味づけが全然違うけど本作が元だったのかな

理解できない演出、セリフは多々あったけど、全体としてはシンプルに感じた 意味深なセリフ、演出達はきっと別次元の雰囲気を出すための道具であったに違いない
よくSF小説であるわけのわからないカタカナの固有名詞を大量に出すことで異次元感を演出のと似た感じだと思う

モノクロを全面に活かしきったライティングを見ているだけで幸せだった
>|