三四郎

ステラ・ダラスの三四郎のレビュー・感想・評価

ステラ・ダラス(1937年製作の映画)
3.1
この頃からあんなでかいウォータータンクがあったのか!酒もタバコもしないの、そんでキスは誰とでもするわけではない、ふしだらな女とおもわないでね、か。結婚するまでは努力するが、その後本性が出るというか、出自は大切だと思わせる。
娘より母バーバラの方が美しいってどういうこと笑
歳頃の娘いい子だなぁ、本当に。派手に着飾り友人に「安物のネックレス、あの時代遅れの派手な女」と笑われる母を恥ずかしいと思いながら、そして人目を気にし自分のためでもあるが、しかし母親を愛してるからこそ、母の耳にその噂が入らぬようその避暑地を去って行くのだ。
白黒映画の妙はここから。二人が部屋で出会う時、バーバラは黒いグランドピアノ側で扉から現れる淑女の方が白っぽい清潔感が画面に溢れている。その後白いソファに淑女が座り、バーバラは黒っぽく見える木椅子に座る。白黒だけでなく、ソファと木椅子というのも上流階級の余裕さと庶民階級の粗雑さの対比に思える。バーバラが憧れていた生活を見事に体現しているこの豪邸に入った時の彼女の表情は上手い。
清楚な淑女は、黒髪に白ドレス、しかし縦に絞りのストライプ線が入ってる。つまりバーバラの気持ちを酌み、また同じく子供を持つ親としてバーバラの母性心理を酌み取る波立つ心情かしら。一方バーバラは、金髪に黒毛皮で相変わらず成金のようでけばけばしいが、白毛皮が少し混ざっている。複雑な母の心情を表すのは黒毛皮に少しの白毛皮もそうだが、その下に着ている純白の絹のような薄く柔らかい透明感あるシャツが重要だ。つまり体は黒に包まれているが心は娘を思う優しく清らかな白い心でいっぱいということだ。黒毛皮と対照的なこの白シャツは、彼女の複雑な母性心理と純白な心をも表しているように思う。服装は清楚で理知的な女と派手でバカっぽい女を表しているだけではないのだ。しかし、金髪、ブロンドは『紳士は金髪がお好き』でもそうだが、アメリカ映画の場合、清楚感に欠ける頭の弱い女、妖婉な悪女の象徴記号にしてあるように思える。 中年の体格にするためにバーバラはお腹やお尻に何か入れているのではなかろうか?
メロドラマ、母もの、お涙頂戴もの…すべて過剰に表現する。しかし過剰に表現するからこそ、それも恥ずかしいくらい辛く苦しくなるくらい極端な表現をするからこそ、胸に突き刺さり、人の真底の善意に、お互いの思いやりに心を打たれ、人々は瞳に涙を溜め、紅涙絞るほど気持ちが動かされると言える。アリストテレスの『倫理学』の「善」に関する考察についてある本に書かれていた。その内容がなんとなく私が見ていて恥ずかしく辛く苦しくなるメロドラマ、母もの、お涙頂戴ものなどに多い過剰表現と、過剰表現をするからこそ、人の善、真底の優しさを観ている者に感じさせ、感動させるという、その理由を説明できるような気がしたから書いておく。彼は、「善」というものは、過剰と欠乏の両極端の中間にあると繰り返し述べていたようだ。
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