凛太朗

ドッグヴィルの凛太朗のレビュー・感想・評価

ドッグヴィル(2003年製作の映画)
4.3
取り敢えずニコール・キッドマンが綺麗。
そしてニコール・キッドマンが綺麗。
何をおいてもニコール・キッドマンが綺麗!美しい!

ということで、それもうお前が単にニコール・キッドマン好きなだけだろうという話なんですけど、ニコール・キッドマン目的に胸糞で3時間近いという長い映画にも関わらず何度か観ている。

この映画におけるニコール・キッドマン扮するグレースは、何も容姿が端麗なだけではないのである。
犬の町には相応しくない純潔と言えるかもしれない。

舞台となる大恐慌時代のロッキー山脈の鉱山町ドッグヴィルは、それこそセットが極めてシンプルな舞台のようで、白線と説明文とちょっとした小物だけで成り立っていると言っても過言ではないくらいには、映画として凄く実験的。映画の中で「この映画」とかナレーションが言ってるし。
その辺流石は鬼才ラース・フォン・トリアーと言うべきか、トリアーだからこそやっぱり胸糞映画なのである。
あんたどんだけ人間嫌いやねんと思ったりもしますけど、ドッグヴィルの住人の描き方を観るに、まぁわからんでもないなと。

銃声が鳴ったかと思うと、どこからともなくギャングに追われてドッグヴィルに逃げ込んできたグレース。
それを匿うことを町の住人に提案する作家志望で町の道徳における伝道師的立場(勝手に)の若者トム。

どれだけ崇高な道徳心も、人間のエゴの前には何の役にも立たないのだ!
男は性欲に溺れ、女は怨望の眼差しを傾け、猜疑心に支配され、或いは利用し、或いは疎ましく思い、我身を保とうとし、私欲を貪る。それが人間なのだと神の目を以って仕切りのないドッグヴィルを俯瞰する。
そんな堕落しきった人間の末路は旧約聖書に於けるソドムとゴモラ。神による裁きなのである。

しかし神がモーセに神託を授けたように、トリアーはただ一人、否、一匹、犬のモーゼスだけを生かすのであった。

これは犬のモーゼスに小さな希望を託したということなのか、それともドッグヴィルという名の町に於いて、人間は犬と同等、或いはそれ以下やというメッセージなのか。

『ガリバー旅行記』では馬族に飼われている野蛮人的なヤーフだかヤフーだかって種族が居て、その様子を目の当たりにした人間のガリバーは、崇高な馬族に心酔して野蛮なヤーフなんていやだぁ!みたいになったと思うんですけど、トリアーさんはあの時のガリバー的な気持ちなのかな?
凛太朗

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