映画館を家にしたい丸

ストレンジャー・ザン・パラダイスの映画館を家にしたい丸のレビュー・感想・評価

3.7
まるで洋書を読んでる気にさせてくれる作品
実験的なまでに映画表現で完成された映画で、無駄な小道具、無駄なカメラワークは存在しない。
全ての目の動きや流れ、カメラカットの初めに意味があり、それこそお手本のような勉強会の発表のような映画であった。
ただ、お手本でない点が一つ。それは、映画としての脚本の存在を感じさせなかったことだ.客観的なテーマというのは僕たちに結を意識させる。例えば愛であったり、友情であったり。それがないからこそ、この映画を心地よく永遠に感じた。
もはや芸術と言っていいだろう。
音楽を鳴らす動作は音楽の導入
タバコを吸う動作はそれによる展開の導入
とにかく導入とカットが多く、無駄なものは何一つなかった。
これはすごい映画だ。今までは映画は漫画や小説の延長線にあり、その表現技法も延長線にあると思っていた。
だが、映画ならではの延長線はとても遠いところにあったようだ。
文にするととてもダサく、蛇足に感じてしまうそれを独特の間と表現の連続で我々にわかった気にさせてしまう。
すごい映画だ。
だが、好きかというと普通かも。とにかくジム・ジャームッシュがやりたいことがわかってよかった。

最後のシーン個人的には好きです。
永遠に追っていく主人公とそれを交わすヒロイン。結局ヒロインのことなんて何もわかってなかったのさ。

では、なんでこの話にしたのだろうか
シナリオ無しの映画表現を撮りたかったであろうジム・ジャームッシュ。彼の憧れは小説家や漫画家、創作家ではなく芸術家にあるように感じた.
芸術表現とハンガリー、関係あるのかなあ。
個人的にはハンガリーはラストの設定とアメリカに溶け込む様子を描くための小道具でしかなかったと思うがなあ。
それとも体験談なのかなあ
ナイトオンザプラネットでの進化は映画表現の進化なのかもしれない。
ブラックジャークと社会性と社会のあり方。それが彼にとって映画表現の全てで、カメラ表現の全てなのかもしれないと思ったら。


追記
どうやら、ジム・ジャームッシュ自身がハンガリー出身だったよう。
どうやら自伝的な内面性を投影したのかな
また、どうやらコメディだという記事も見かけた。
ははは、それならこれがラブストーリーだというのにも納得がいく。
それに金がなかったらしい
だから無駄な小道具やカメラワークがないのだ。無駄な金を使えないからな
無駄に芸術的だとか、表現の巧みだと言ってしまったがそう思ってしまったのだから仕方ない。
映像表現には読者の主観性が全てなのだから。