体感2時間半の90分を過ごし、全く面白くなかったはずのこの映画について、3ヶ月経った今でも考えてしまっていて、わたしの心は「これは最高の映画で間違いない」と認めたくてたまらなくなっている。まず、塗装業者が2階ほどの高さの足場から落下する冒頭のシーン、なぜか銃声のような音を立てて地面に落ちたあと、なぜかナイフで腹を刺されたかのごとく口から溺れそうなほどの量の血を吐きまくっているのを見て、え?と思ったのは序の口で、とにかく突っ込まずにはいられないシーンが続くので、映画が終わる頃には序盤の塗装業者の存在などすっかり忘れることができていた。ああ、わたしは本当にこの映画について考えるだけで笑顔になることができる。同じ感覚を求めて『ルチオ・フルチのザ・サイキック』まで観てしまった。こちらもあまり面白くはなかったのに、やっぱり今のわたしは「すごく面白くて最高の映画だった」と証言。ルチオ・フルチについて調べていると、ダリオ・アルジェントとの仲が険悪だった時期があるらしいが、『フェノミナ』がこの世にあるかぎりわたしはアルジェント派でいることを誓いつつ、ルチオ・フルチの作品にしか刺激できない好奇心と作り出せない笑顔があることも信じている。……執拗に顔面の破壊ばかりを狙われる登場人物たち、ミイラ化した遺体に何故か脳波の検査を行う医者たち、魂を閉じ込めるかのごとく何度も繰り返される時間、ゾンビなのか何なのかわからないが食人以外の目的を与えられているように見える不気味な集団、都合の良すぎる場所に置かれた硫酸の瓶、都合の良すぎる飛び散り方をする窓ガラス、目の前で同僚が無惨な死を遂げたのに何故かノーリアクションの男……心象(イメージ)に頼りすぎて、意味不明となった場面/支離滅裂となった展開/必死であればあるほど無機質に感じられる叫びや反応が、少しずつ自分の中で、はっきりと顔を持つ何かへと成長していくのを感じるとき、人の中で恐怖が芽生え育ちきるまでの過程のことを、並行して思い出す。これが地獄の門ですかとルチオ・フルチに問いたい。湖を真ん中で割るように通った車道、どれだけ行っても湖面と暗い空と中央線だけが視界のすべて。そのはてで、待っている、道路の真ん中で、盲目の女性と盲導犬であるシェパードが、ひたと寄り添い真っ直ぐに立っているのを見たとき、何かが起こるだろうと思った。今からわたしは目撃するのだろうと思った。つまるところ、その鳥肌を誘うほどの予感を貰えただけで十分に、これは最高の映画で間違いなかったと言える。