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SHAME シェイムのleiのネタバレレビュー・内容・結末

SHAME シェイム(2011年製作の映画)
4.1

このレビューはネタバレを含みます

NYでエリートサラリーマンとして働き、いい地区の高層マンションで暮らしているブランドン。
そんな彼は毎晩のように女性を買い、家でも職場でもウェブサイトでポルノを見たり、自慰をするセックス依存症という一面があった。
しかしそんな彼のもとに恋愛依存症の妹シシーが転がり込んでくるところからブランドンを取り巻く状況は一変してしまう……

日本ではあまりメディアでも触れられる機会が少ないセックス依存症。
物語の序盤ではそれがどんなものなのかわからなかった。
ただ人よりも性欲が強いだけなのか、はたまたその行為を楽しんでいるのか。
マイケル・ファスベンダー演じるブランドンは決して欲望として行為を行っているわけではなかった。まったくその行為で快感を感じているわけではなくむしろ苦痛を感じているようだった。
ではどうして彼は性に依存してるのか、またどうして彼の妹も恋愛に依存して生きているのか。そこの明確な答えは作中では描かれてはいない。
それでもその答えの手助けになるキーワードは妹シシーの言葉だとおもう。
“私たちは悪い人間ではない。悪い場所にいただけ”
彼ら兄妹はアイルランドからアメリカに移ってきたというバックボーンがある。そしてほかの家族とは疎遠になっている。つまり、何かしらの出来事がそこであったために、2人で新天地であるアメリカへわたり、その結果彼らにはお互いしか頼る相手がいない状況になった。
その出来事が何なのかは描かれていないが、その過程において兄は妹を家族愛というよりは一人の人間として愛し始め、依存し、自分が妹に対して抱いている愛は本当は抱いてはいけないものなのだという恥(=SHAME)だという負い目からますますそれを打ち消すためにもセックスに依存していったのだと思う。
他者と性的に密接に関わることで喜びや快楽を感じることができれば妹への愛から逃れることができるのではないかと思うように。

しかし、作中それが叶いそうになる相手を見つけるもののブランドンはセックスすることができなかった。それは、彼女との行為はブランドンが知らない愛にあふれたものだったからだ。今まで彼が関係を持ってきた相手とは異なりきちんと愛情を示してくれたその行為をブランドンは頭でも身体でも理解できなかったのだ。
そこでブランドンは自分がこの状況からは逃れることはできないのだと悟り、それでも人を愛したい、報われたいという気持ちを持つけれども実らせることができない愛を抱く自分にとって、その対象である妹シシーは愛する対象であると同時に自分をこんな状況に追い込んだ根源であるという憎しみの対象となったのではないか。
そしてそれをシシーもわかっているからこそ愛する兄の前から姿を消してしまいたいと腕を切るのではないか。

愛とセックスはイコールなのか。報われれず、倫理に反した愛は恥なのか。
色々なことを考えさせられる映画だった。
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