Kuuta

千年女優のKuutaのレビュー・感想・評価

千年女優(2001年製作の映画)
4.4
キネカ大森で「パーフェクトブルー」と二本立て。大変な傑作でありました。

現実と虚構の一体化という今敏監督の得意分野の素晴らしさは言うまでもないが、今作は話の構成にも唸らされた。

第1幕で千代子は幻想の「あの人」と出会う。第2幕でその想いが女優としての表現の源になる。あの人を想い続けたから、演技が真に迫るものになった。虚構の住人でありながら、女優業はあくまであの人と再会するための「現実の手段」に過ぎなかった。

クライマックスの第3幕では、この関係をもう一段反転させ、自分が演じてきた役柄が、現実の銀幕と言うべき雪原への逃避を後押ししてくれる。現実の戦争体験も、映画で演じた役柄も、全てが等価として彼女の人生を肯定してくれるのだ。

虚構を生み出してきた映画村が解体される中、ラストシーンで彼女は幻想を追う「女優」としての思いを口にする。現実の千代子が言ったのであれば「だって私は…」くらいで止める方がリアルだが、あれはきっちりと「台詞」を言えるようになった、女優としての千代子の成熟であり、親の反対を押し切って女優になった選択への自己肯定でもあると思う。

(あと、このオチを「恋に恋した人」のように恋愛に限定して解釈するのは大変もったいないと思う。「あの人」は「歪なまでの憧れ」の象徴であって、自分の心の拠り所のメタファーなんだと思う。映画とか、音楽とかでもいい)

満月の前夜の気持ちをいつまでも持ち続ける。宇宙飛行士となり、時空を超えた「演技」を続けながら、極楽へ解放されていく。蓮の花が象徴する輪廻転生。映画の入れ子構造とリンクしたループ、円環。

現実と虚構が互いを補完する女優人生において、映画の映像はいつまでも変わらないが、現実の肉体は確実に「色褪せていく」。その切なさ、ホラー的にも映る老いの恐ろしさが色彩豊かに描かれている。

映画の中に入り込むシーンでは、現実のキャラクターは少し浮き立つような色。現実としての赤、光。虚構としての白、暗闇の対比も素晴らしい。繰り返される日の丸や鶴のイメージ。トラック野郎から怪獣映画まで、今監督の映画フリークっぷりも堪能できる。

パーフェクトブルーと同様に、片目を失う人間が出て来る。現実の一側面しか見ようとしない人。絵描きを思想犯として弾圧した戦時中の日本の姿が描かれる。

女優がその場を去ったのに愛着を語り続ける源也はパーフェクトブルーのストーカーの合わせ鏡であり、お気に入りのシーンを繋いだビデオを見つめる様はさながら熱狂的なアイドルファン。今作ではそうしたファンを、彼女のためなら自己犠牲も厭わない献身性の塊として肯定的に描いている。彼女の人生を振り返るこの映画のタイトルクレジットを、源也が作ったビデオの巻き戻しに重ねるセンスに痺れる。

欠落した何かに心を囚われるから人は生きていけるし、その状態こそが、自分にとってのリアルだということ。今敏監督の撮った4本の映画はいずれも甲乙つけがたい完成度だと思うが、お話に引き込まれたという点で、千年女優は自分の中で頭一つ抜けた作品となった。88点。
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