映画漬廃人伊波興一

死霊伝説の映画漬廃人伊波興一のレビュー・感想・評価

死霊伝説(1979年製作の映画)
4.0
無機質な廃屋の質感に込められたトビー・フーパーの倫理性 

トビー・フーパー
「死霊伝説 完全版」

初めて190分の完全版を観た。

誰もが知るとおりトビー ・フーパー作品には廃屋をめぐる悪夢がつきまっとています。
伝説の「悪魔のいけにえ The Texas Chain Saw Massacr」はいうに及ばず「ファンハウス/惨劇の館」「悪魔の沼」さらに「ポルターガイスト」から晩年の「遺体安置室 -死霊のめざめ-」に至るまで。
あたかも登録商標のようにいたるところで無残に朽ち果てた建物の内部空間が私たちに開かれます。
錠前も建具もことごとく腐食し、壁という壁には穴がうがたれ、床には滴り落ちた水が黒々とたたえられている。
もちろんホラー映画らしい曰く付きの理由は用意されていますが、それよりもキャメラが向けられた瞬間から、(完成)とも(崩壊)とも無縁の、純粋に廃屋であるために存在する空間として、廃屋そのものが底意ある生きもののように画面を跳梁していくのです。

必須の舞台装置のように、その大袈裟な廃屋が肝心な瞬間にぬっと姿を見せた時に想起される凶々しい事態に憑りつかれてからあしかけ30年、フーパーの恐怖映画を追いかけてきました。

本作でも廃屋マースティン館の内部がまるで「エイリアン」の卵巣に通じているかのように凝った異空間情緒を醸し、無機質でありながらも生々しい質感にいつ何が起きてもおかしくない不安に絶え間なく襲われます。

この曰く付きの廃屋を管理しているジェームズ・メイソンが棺を運ばせた事を契機に、アメリカ・メイン州のセイラムズ・ロットという町がヴァンパイアに毒されていくさまが幾重もの網状組織として限りなく繁殖していくわけですが、真っ黒なスーツを身にまとう存在からしてメイスンが黒幕なんて言わずもがなの筈なのに、「悪魔のいけにえ」のレザーフェイスと同じく私たちに行動体系の意味など明確にはしてくれません。

むしろ最初から社会の記号的図式への依拠を拒絶して純粋なくらい徹底的に空っぽ状態なのです。理由も動機づけもその気なればいくらでも展開に盛り込みようもあろうにその「説明」にしかならない所業一切に背を向けた中から生み出した虚構性に痺れっぱなしでした。

恐らくは原作者スティーブン・キングの分身のようなデヴィッド・ソウル演じる主人公の作家が愛するボニー・ベデリア(ダイハードのマクレーン刑事の奥さん役)を救うか、セイラムズ・ロットの町を救うか。ふたつの拮抗し合う力がせめぎあう場に身を置く過酷さこそが、このホラーに倫理性を与えています。
 
映画が単純に映画であることが益々困難になる時代、フーパーが無機質な被写体の質感に込めたような映画への飾らぬ想いにひたすら今観ても感動するばかりです。

この作品がアメリカでTV放映された1年後、同じスティーブン・キング原作の「シャイニング」が公開されました。
もしトビー・フーパーがテクニカラーで「シャイニング」を撮りあげたらどんなに面白かった事か。

だがそれを言うには及びません。その遺伝子は我が日本の誉れ黒沢清の手によって
「地獄の警備員」「CURE」「カリスマ」「回路」「叫」「LOFT ロフト」そして「クリーピー 偽りの隣人」で見事に結実しているのですから。