ニューランド

ボディ・スナッチャー/恐怖の街のニューランドのレビュー・感想・評価

4.5
✔『ボディ·スナッチャー/恐怖の街』(4.5p)及び『殺人捜査線』(4.1p)『第十一号監房の暴動』(4.0p)▶️▶️ 

 初めて行った劇場で、スタッフも皆映画好き、極めて親切で見やすい劇場設計と、快適過ぎてこの後·大丈夫なのかなと心配。無茶苦茶な銀幕と座席の観客無視設計、他人を貶めて世俗に残ってくしか関心のない主催者川中氏、のイメ·フォ(奥さんの富山さんらが正してるとはいえ)位でないと、生き残るは難しい気もする位、清々しい場だった。
 そこでの現在、朝~夕の時間を占めてるシーゲル特集。一本千円超は当方にとっては安くもないので、三本に限る。所謂本邦劇場未公開作だが、20世紀の内からor21世紀に入って、自主上映やビデオ·テレビ放映らで、既に人気の定着してる、『ボディ~』『第十一~』と、個人的にだけかも知れないが初見の『殺人~』の三本だ。年末の(本邦初公開作)ベストテンに、旧作のウェイトがいつも高くて気まずいが、確実に入り得る傑作、の特別クラスばかり(。イオセリアーニの最高傑作『そして光りありき』やアッケルマン『家からの手紙』らと共に今年も旧作初ロードショー作が、個人的な表舞台洋画界席捲か。ヤンチョー配偶者の実力は未見で判断出来ず)。ガチガチの社会対峙の正統派から、次第にノリや緩み滋味に嵌ってきて、全ての次元で凄い作品群。
 『ボディ~』。シーゲルの最高傑作として、ビデオや自主上映·テレビ等での人気番組で、日本でも少なくとも40年間位は人気の高い(同じ原作の後続作を問題にしない)作品だが、劇場長期配給品公開は、初なのだろうか。これまでのなかでも、モノクロの締まり過ぎたかのような画質·画面のワイド比、ちと補正が効きすぎてる気もするが、改めて内容というより、作品の品格に身震いがするような作。室内外·窓や出入り口を切替して等の白黒差、フォローから前後·パンの自在で複雑·高度なカメラワーク、俯瞰め·仰角め·縦め多く含む高度な構図、咄嗟のカッティングや対象の動きの流れ込む確かさと迫真性、傾き図や揺れめも·あからさま効果的音楽被せも·嫌味なく了解の上の力、そして社会·政治情勢を広く踏まえての台詞や立ち位置の押さえ。無駄や迂回等存在しない、あまりに凄すぎる作。観る側も、ニヤニヤ愉しむなんて事も忘れさせる。10年後の、いい意味での無駄·緩み·パターン載りの、『殺人~』と好対照で、フィクションへの嵌りを拒んだ生真面目過ぎて凄い初期の『第十一~』とも好対照で、それぞれの間に時間や流行·業界立ち位置が変わってるとはいえ、1人の作家から発信されてるのだ。この柔軟·巾·流れ意識沿い·職人的作家的対応の都度発揮、総体の懐ろと向き合い誠実度合い。
 『マタンゴ』『カリガリ~』的な、現在からの(プロローグ·エピローグで括る回想)無力打ち明け話の形式だが、本作は話が狂人の取りとめないものとされた侭ではなく、真実だという(当該都市より世界拡大の実行始まりの)証拠がラスト急に現れ、急転直下·警察から社会全体対応に向う、現実の力を持ち得てく。事態の破天荒異変に振り回されるだけでない、人物の現実に向き合う真摯度·行動力が初めより並大抵でない手応えであり、それはリアルな齟齬の少ない、本作の反リアリズム·ルーチンSF物の枠内の外形を逆に作品の力に変えている。
 真面目な医師が主人公の·ある米西海岸の地方都市に限った異変、姿形は同じもこれは家族とは別物との·訴えたる側が当初はおかしいのでは?の報告例多発、その証拠の大きなサヤ内の不完全·徐々に生成中の人体偶然発見、それは見知った者に近づいてく、見た目は同じでも人間らしい(愛·恋愛らも)感情の欠落·総じて無気力な異質な人間か増えてく、廻りの看護師·(精神科)医師仲間·作家夫妻·恋人(共に初婚失敗の不完全自認同士の幼馴染再会)らの頼もしい異変告発仲間の筈が·徐々に安楽なあちら側に移ってく変なリアリティ、入れ替わり身体を求め·漂流する宇宙種子群の地球への飛来の説明が敵側からはっきりなされ·それは悲劇ではなく·現実や睡眠生理で気力の衰えた時にその記憶や個性を吸取り·似た器(宇宙種子)が入れ替るは寧ろ安寧で軋轢ない仲間関係の拡大だと言う説得力、それに倣うは緩んだフィクションならば選択肢にも入るが·この寝るを拒み現実に甘えずそれを愛し向き合う本作の人物らにはあり得ない·本来の生き方のベースのリアリティ存在。
 本作を、現実の複雑さ·峻厳さを正確に取込み、向き合い精神·魂のこちらの内面を捌く、アート系フィルムに比べ安易で薄っぺらいと観る向きもあろうだろうが、ある時代·或いは思索的よりも現実に則して活きる生身の人間には遥かに効用があるし、気取りを捨てた本当の生き抜く気力が与えられる。プロパガンダを大きく越えて、職人·作家の矜持として。
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 10年後の作『殺人~』は無駄·緩みも効用で、現実の手触りをより強め、平板に現実の強さから遊離しない作になってて、取立てて映画的造型に優れた作品でなく、経年劣化した車内スクリーンプロセス部や真っ逆さま落下人体の人形然としたアラに拘らず、また、ルーティンの、実情知らないヘロイン運び屋から、上手く回収してく請負人二人組を中心にした犯罪もので、笑えないユーモアやとんまから残虐で掻き消しというパターンと、取立てて映画的野心溢るる造型等とも無縁と見えて、こちらの心を弛緩させながら、とんでもない緊迫、それも映画予定調和を越えた、不安定で恐るべき地点に連れてゆく。
 E·ウォラックの独壇場のような、犯罪者側の心と身体の揺れ方だが、相方のカッカくるのと対照的な銃に頼らない穏当路線派の、尻拭いをキチッとさせてるようで結果、より困難な状態へもってくる、皮肉でより残酷·非情な流れの自然引かれ方も凄い(R·キース)。
 カーチェイス自体も、モンタージュやアングルによるギミックではなく、車内描写から独立して、掛け値ない危険·速度·接近具合·転換機知を、その物自体の位置や動きで現し続ける。
 ズームやフォローや(衝突)モンタージュも、映画ならではの主張があるわけでもなく、事態自体が形を引き付けている。その中で、最後のヘロイン回収が、子供が土産の日本人形の顔の白粉に使ってしまった事への理りが必用で、品物は施設の一部に投函の筈が、それを取りに来る、未だ見ぬボスに直に届け説明する事に決めてからの、描写が圧巻。多数望遠鏡設置の円形展望台をグルグル回るウォラックを俯瞰め退きパンの図で異様に長く追い続けてく。この無駄·反効率がこの作の真骨頂で言いしれぬ緊張が高まり包む、やがて望遠鏡の1つを覗くふりして、ブツを入れた場の気配をチラ見し、群がってきた子らの1人にアドバイスもしだすカットらに。その雑然の中、車椅子の回収者を認め、近づき、事情を説明してく。これも無駄にカット数の多い寄りの切返し続きで、何故か何も応えず曖昧な表情の侭の相手、やがて口を開くとそれは名高きボス本人と分かる。顔を見る事自体がご法度、命は無くなると教えられる。怯えた主人公は、車椅子毎、ボスを下へ突き落す。その騒ぎで、ボスの手下と警察からの反応·手配車気付き、追跡に繋がる。無茶苦茶強引カーチェイスと·道の塞がり·仲間割れ·射殺落下の、闇雲な断末魔の狂気世界へ。
 そもそも、冒頭から、運び屋と仲介人の横取りのイザコザからの、流れ発覚の違和感から始まり、本職?仲介3人の個性派3人は遅れて出てくる。この、プログラム·ピクチャー的な流れのパターン化と慣れた進め方の緩みと、どの受取りケースでも何か齟齬かあり居心地悪さと短絡的運び屋始末が続く。プロの1人は快調·慎重、1人は不安·急ぎ、キャラの見かけ·対応のズレが、面白い。プログラム·ピクチャーを超えた、その路線内の大傑作。良心や野心など、クソ喰らえなのだ。日本映画だと、かの『赤い手錠』や『狂った野獣』みたいな。
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 『第十一~』は、普通に先入観なく見るならば、刑務所や収容所を舞台とした作品でも、ダッシンやローゼンバーグを越えて、ブレッソンやベッケルの孤高正統と肩を並べる傑作である。空間·建造物·登場人物数といい、凄いスケール·本格なのに、カメラワークといいカッティングといいこれ見よがしの、映画的鮮やかさを拒み、見紛うような似たor僅かに切口を変えたカッティングや、寄るやフォローや回り込むのに伸びやかなもの少ないカメラワーク、直截を躊躇してるにも見える動きやズラシも普通で、現実に存在するものの重みを伝え、セットの造りの弱ささえカバーできてく、本能的逡巡手触りが安易には見えぬ位に丁寧に織り込まれてる。
 非人間的な待遇の改善や事件処理不利益なし·出所後手配に対する要望の貫徹·達成に関し、囚人の側のリーダーや補佐にも、行動力ある発案実行者·彼の怪我で入れ替わる頭はきれるが精神病患者(選り分けもせず、雑多過剰に詰め込んでるのも改善要求の1つ)、仮出所近く事を荒立てたくない常識派元大佐、らがいて、一枚岩ではないがタイミングを失わず連携対応の機能も高めてゆく。勿論、囚人の中にもあからさまにこれに反対し暴力でリーダーらを潰そうとする者や、人質に取って要求の拠り所となってる複数看守の扱いにもやり方が錯綜する。マスコミが駆けつけ報道するを取り付け、彼らが言うは真っ当とする所長もあるも、看守長·理事·知事らは押さえつけ、拒否する頭しかない。州警や軍隊迄動員され、発砲犠牲者も出て、それに対する人質処刑まで検討され、相手は一気全体爆破まで仕掛けて来るが、他の監房や社会への余波、過剰に動きが高まる恐れからも、以上の者らの賛同署名迄受付けるに至ってく。暴動が退かれてく。しかし、議会の拒否が最終的に予想だにしない所で働く。首謀者は三十年懲役は伸びるが、残りのリーダー格2人は適切に処理され、マスコミにより世間の目が向き·現状を覆す下地は出来てきた、と退任させられてく所長は、リーダーに告げ、限界はあっても決して囚人らの敵でもなかった、人質看守らは家族との再会を果たす。
 ケレンめ見てくれも抑えた本物志向、当時の年間ベストに叙されても、全くおかしくないが、今もだが映画の世界でもレッテルの力は大きい。それにしても、多彩なキャラ·集団のそれぞれの理に沿う動き·判断の絡み·巨大化·本質達しの捌きと誠実さは並ではない。ドラマの妙が作りあげられてる訳ではなく、真に瞬間と全体の一体性だけが、不思議な行く先像を抱かせながら、緊密に不断に何時しか本当の拡がりを持って続いてく。
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