ニューランド

ダウンヒルのニューランドのレビュー・感想・評価

ダウンヒル(1927年製作の映画)
4.1
☑️『ダウンヒル』及び『マンクスマン』▶️▶️
移民レベルでなく、ヨーロッパ大陸から、業績に目をつけられ引き抜かれ、あるいは先進性が危険にさらされ、ハリウッドに渡り来た監督で、いろんな保守的規制に本領を発揮出来なかった人は多いが、同等(以上)の働きをした人も少なくない。シェーストレム、ルビッチ、ムルナウ、ラング、オフュルス、サーク、ポランスキー、バーホーベン。ルノワール・クレール・デュヴィヴィエのフランス組も溶け込んだとはいえないも、いい仕事をしている。只、個人的印象だがヒッチコックは、渡米後、映画史に特筆されて残るべき名作を、少なくとも7、8本は物してるのに、英国時代は、『殺人!』を始め、傑作に近いのはあっても、先の7、8本レベルの大傑作というと、生涯ベストに近い『バルカン超特急』、青年期の血流が渦巻く『下宿人』位しか思いつかない。元々そんな旧いのは敬遠気味だったのかも知れないが、2年前上映が終わった後、本作は凄いと知人が教えてくれてて、気になってた。
「忠実な友情の話。一方に於いて」と出るので、『走れメロス』的なのかなと思ってると、スピード感・切迫感はなく、上流社会、芸能社会の日常描写が延々と続く。表情・心理をあぶり出す顔のCUの多め、切返しや縦横奥の人の位置・関係を必要以上に逐次捉えてくのに・90゜の角度変えの多用、位置や角度の僅かのズラシも場の空気を正確に捉えてく、アップの挿入も的確・装置や美術も堅固で微細。冒頭ラグビー試合以外は室内や夜屋外のくすみ・暗みに部分(背からや縞)光が存在を縁取り浮かび上がらせる。しかし、今時の1映画にシーン数は百数十は当たり前ペースからすると、やはりのろい。
しかし、それらは下準備と知らされる。レストランで病人でて換気のカーテン全開で一斉に射し込む陽光(かりそめ・虚飾の世界の真実の姿を暴き出しー主人公を目覚めさせ)、それまでもあった寄りサイズでの半主観的来るフォローののろさ・反ノーマルさに合わせるかのような、朧ろも同時に内的真実を暴き出すような視界・主観ショットがよろよろと、しかし封を切ったかのように、感触としてイメージと違いしつこく強く、一般的客観と同レベルで占めくる。ピストンやレコードの動き、嘗て係わった人物ら(権威者としての面強めてる男ら、女は健気・正直の裏の狡さ・薄汚さ・獰猛さを一斉に現してくる、三島ではないが世界の真実を裏切るは常に女というは、被虐的女主人公の場合でもそれへの不信感をヒッチも同じく持ち続けてる)、それらが複雑にDIS・OLされてく眼前世界。世界の表面を拭き取る長いパンニング、世界の本質に沿った傾き・揺れ・ボケ・前へよろよろしてく不安定すぎる主観ショットら(「避けられぬ下り坂の人生へ」)も。そして、主人公や周りの人物も、死相というより、突き抜けた生の崩れた侭のこわばり・鬼面を見せ続けてく。
これはもう、我々の思ってる一般的ヒッチ世界というより、世界の堕落・崩壊を1人格に集約し・高めたシュトロハイム・ヴィスコンティの最良作のレベルだ(女性問題と放校の・相手言いなりの直結、ディナー中あんなに陽光強いのか、遺産の大金の妻による巻き上げの細部、口を割らぬを誓った相手側からの真実の漏れ方・あるいは2人の心理の兼ね合いと変化、等不充分・不可解も幾つかあるが、壊れた内面世界の反映にも見えてくる不思議)。これは、後のサスペンス・スリラーの代表作ではより洗練されて現れてくるのだろう。しかし、この留まらなさも同等に魅力的だ。
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続いて観た『マンクスマン』は昔、アテネフランセで、16ミリ版で観たのに比べ遥かにクリアで、『友情』『それから』から『滝の白糸』的内容を、前に観た作のようにまごつかせず、興味を飽かせず、スムースに語ってゆく。真実の開示・決断というゴールが決まってて、それを先延ばしにしてるのだが、それはスリルとサスペンスベースの芽生え・熟成中だったのかもしれない。とはいえ、コミカルから深刻へ、舞台なら違和感少ない気もするが、細部のつきまとう映画では、特に妻と親友に裏切られてるに全く気付かぬ夫役等、随分間抜けに見えたりする時もある。また、女性の知性を見下し、愚かとも見てた時代というか、作家自身が、アントニオーニ・ルノワール・キューカーらに比べ、旧時代の価値観の名残りを持っていたのは明らかだ。
全体に仰俯瞰の角度を加え気味だが、ロケ場面の、波と岩と船着き場・漁船と海鳥と人々の埋め尽くし・雲や逆光や巨大怪奇岩らの、フラハティ的美と、セットシーンでの、炎や照明の揺らぐ照らし、窓や戸(開け閉めも)や人垣による視界や声との遮り・距離感、よりストレート的確な正面・背・垂直・斜めの都度ポジション取り、大臼や書き付ける手紙(終盤にはそのインク皿の大CUのズーム的前後移動も)の象徴性、横並び人らへの横移動(縦移動も少し)や・女やラスト近くのその父の視線の動きのあらぬ動きの鋭い先行性、軽いDIS、らが紛い物なく効いている。
真の傑作の数・割合からいって、この作家は、欧米に限っても、ルノワール・ラング・ホークス・ルビッチを上回る事はなく、私には極上の存在とは云えない。しかし、今挙げた作家たちには映画を超えて纏ってる何かがあり、断言できるのは、「映画」とはヒッチコックであるという事だ。
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