Kuuta

ミュンヘンのKuutaのレビュー・感想・評価

ミュンヘン(2005年製作の映画)
3.9
ロッド国際空港が名前付きで強調されている。岡本公三らが空港で26人を殺した乱射事件の数ヶ月後、当局に拘束された岡本らの解放を求めて起きたのが、今作の描くミュンヘン五輪事件だ。昨年、重信房子の出所を喜ぶ支援者にイスラエル大使が不快感を示すというニュースもあったが、決して対岸の火事ではなく、日本人にも繋がるテーマの作品だ。

セックスと暴力のカットバックは「太陽の帝国」と同じ手法だが、両者を繋げて思考する主人公の心理が今作は丁寧に描かれているので、より納得感のある編集になっていたと思う。

「太陽の帝国」が戦争の結果、どの国にも帰属できない狂人と化す少年の話であるなら、今作はイスラエルとパレスチナの泥沼の暗殺合戦の末、祖国を捨てることになるユダヤ人の話であり、やっている事は変わらない。「五輪に罪はない」という美名の下、問題を曖昧に処理した国際社会。イスラエルは憤りからナショナリズムを爆発させる。本当に五輪に罪はないのだろうか。

千夜一夜物語に言及するのが気が利いている。千年単位の報復の連鎖、歴史に飲み込まれた個人が自意識を失う。ラストに映るワールドトレードセンター。ユダヤ系であってもイスラエルはおかしいとはっきり描くスピルバーグ。「家を失う」のは誰のせいなのか。自分たちの恥辱を見つめようとする姿勢には、シンドラーのリストの頃と比べても大きな変化が。

人間の両義性、テロリストにも家族がいる的な描写にも押し付けがましさがない。「カラーパープル」で暴力夫にコメディ要素を乗せて「バランス」を取っていたのと比べても、自然な人間が描かれている。

国家の暴力に抵抗する「料理」。野菜の高速みじん切り、遠く離れた家庭をショーウィンドウ越しに見る主人公。ユダヤ人が食べられないソーセージをプレゼントするパパは、ユダヤ性からの離脱を促す?

暗殺を巡るすったもんだを繰り返すシンプルな脚本。水が滴る夜のショットと、ヒッチコック的サスペンス。カミンスキーとスピルバーグが得意分野で全力を振るっている。
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