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カトマンズに散る花
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カトマンズに散る花の作品紹介

カトマンズに散る花のあらすじ

第二次世界大戦時、英印軍のゴルカ傭兵(日本軍はグルカ兵と呼んだ)だったスヨグ・ビル(ガネス・マン・ラマ)は、 ビルマ戦線に駐屯し、男の本性を剥き出して生きていた。 しかし日本軍の攻撃の前にあえなく蹴散らされ、ほうほうの体でカトマンズに逃げ帰るが、 その心には癒しがたい傷跡が残された。 そんなスヨグ・ビルを戦地から凱旋した英雄だと褒めそやすばかりの飲み友達、 シブラージュ(ジャガット・ラスティア)は、スヨグ・ビルを妹たちに引き合わせたいと 自らの屋敷にスヨグ・ビルを招き入れる。 シブラージュの家は、青い花を満開に咲かせたシリスの木立に囲まれた大邸宅だった。 シブラージュの妹、次女のサカンバリ(サルミラ・グルン)は、 その家にひきこもって得体の知れない思索に耽る不可解な若い女。 彼女の性格は暗く残酷で、スヨグ・ビルを前にしても意地の悪い冷笑を返すばかりだった。 スヨグは、サカンバリに辟易とし、シブラージュのほかの妹たち、 長女のムジュラ(スーザニア・スッバ)や三女のサヌ(アプサラ・カルキ)へと興味を逸らそうとする。 スヨグ・ビルとサカンバリは、いくつかの機会に激しく衝突し、 サカンバリは、スヨグ・ビルの戦争犯罪と暴力性を容赦なく暴き立てる。 激しく心を揺さぶられるスヨグ・ビル。 それでいて、ふたりの孤独な魂は、心の奥深くで少しずつ共鳴し始めていた。 しかし、戦争体験による傷深い心を抱えたスヨグ・ビルと、 誰からも愛されることを拒み続けるサカンバリとのあいだに生まれた秘めやかな愛の交錯は、 その感情表現ににおいても、その態度と行動においても、痛ましい結果を予感させずにはいないものだった。

カトマンズに散る花の監督

原題
Shirish ko Phool
製作年
2013年
製作国
ネパール
上映時間
134分
ジャンル
ドラマ

『カトマンズに散る花』に投稿された感想・評価

[渋谷ユーロライブ ネパール三本立ての全作に泣けちゃった①]

戦場シーンの貧弱さや演技演出の安っぽかったりするわかりやすさが気にならなかったといえば嘘になるが、“人生初のネパール映画を観てるんだわ”という珍しさでそんなのは埋められて私はいろいろ褒めちゃえる。魅了度は本当にせり上がったのだ。
ナイフ vs お肉(正確には、食虫植物 vs 蜂)の図式で主役を苦しめたヒロインのキャスティングがまず格別。スリムなのに超ふてぶてしい精神性の美人役(三姉妹の次女バリ。女優はサルミラ・グルン)なんだが、浅黒くっても南アジア風味少なくて東京人ぽい。京橋や錦糸町あたりのOL(夜はガールズバーでバイト)で趣味がマリン、って感じ。設定24才。
その上司っぽい主役男子スヨグ(ガネス・マン・ラマ)は46才独身内向ジェントルのリアリティーが“かわいい”。私のかつての直属部長にイケ顔が似てるよ。。
たった一度のキスのほかは、相手の手をわが頬に持ってくるただそれだけの妄想恋シーンしかないのに、そして肩甲骨をたびたび(胸の谷間を一瞬)チラさせた以外は彼女は特に何もやってないのに、エロさが充分薫ってる映画だ。原作者が♀でも、監督は♂だからね。
何を思いながらバリを演じてたの? 瞳には何が映ってたの? そんなことなども訊いてみるために、この女優さんとお喋りしてみたいな。だって、やっぱ身近にいくらでもいそうな顔立ちとシャレ感だから。

♂♀のことでいえば、やっぱり男目線的な♯が多くの演技演出台詞にかかっていて、何長調とか何短調とかってのはないけど特に中高年男性にとっては観やすい映画なんだろねと思う。世の荒波にはノータッチで恋と命が主題になりつづける武者小路実篤(+ノルウェイの森)っぽさは、女々しいともいえるけど。
ただしバリが、罪に苦しんでるつもりのスヨグを「戦争はすべて犯罪。だから元兵士の貴方も犯罪者。どうせ酷いことやったんでしょ」と切り捨てるところは、単に尖ってるっていうよりはフェミ的なバランス感覚かも。それと、良妻賢母的長女が影薄い一方で、自由に生きる三女が展開の鍵をいくつも握ることになるシナリオは、やはり女性原作ならではといえる。
“食虫植物”を自認してたはずのヒロインが、虫さんとの“やり合い”に臨んで結局「食べず/拒まず/受け入れず」という自殺行為を孤高に貫けば、必定の結果が待ってるということで、悲劇のようで悲劇じゃない不思議なピュアネスの説得力はジイドの『狭き門』のメンヘラ聖女に倍する。
「神とか言ったって、私たちは石に祈るだけ。肝心な時に石は答えてくれない。頼りにならない」と吐き捨てるバリ。その石を前にして、ラストのスヨグは何を見たか。・・・・奇しくも私は近頃、こんなことを結論づけてたところだ。「神はいない。むなしいと思い始めれば、命も人生も人間社会も束の間の平和も、どこまでもむなしい。それでも、切羽詰まれば私たちは、神に縋ろうとしてしまう。弱いから。そして、最終的に人を真に救うものは、人間同士の愛である」
この映画でバリとスヨグが最後の最後に聞かせてくれた気がする共鳴に、私もまた共振していく。映画としての巧拙は別にして。

褒めついでにいえば、都内なら岩波ホールで長期上映されてもおかしくない“揺るぎない”仕上がりだとも思う。主役のスヨグはずーっと揺れっぱなしなのに。きっと強い原作(ネパール文学の最高峰だそうです)、を渾身の思いで映画化したっていう真剣さが痛いほど伝わってきて、後味が本当によかった。
本編のどこに特別に感動したっていうのはないけど、エンドロールのたくさんのネパール人(や日本人)の名前を眺めながら私は少しだけ泣けてきた。